学校法人 福井城之橋学園/城之橋幼稚園

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今月の園長メッセージ

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11月「同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」 (フィリピの信徒への手紙 2章2節より)

「同じ愛を抱く」                       園長 栗原武士
秋も深まりました。雨の日も多いですが、園の中でも、外でも子ども達は元気に過ごしています。沢山の行事を通して、子ども達は様々な経験を重ねて、成長した姿を見せてくれています。11月も、身体と心で季節をいっぱいに味わっていきたいと思います。
先日、全国設置者園長研修大会が行われ、参加してきました。その中で国が、これからの教育をどのような方向で進めていくのかについて、文科省の担当官より説明がありました。「自立した人間として、主体的に判断し、多様な人々と協働しながら、新たな価値を創造する人材として育成」することを目標としているとのことでした。幼児教育に当てはめれば、「主体的に取り組める子どもを育む」ということだと思います。城之橋幼稚園では、子どもたちが主体性を持って歩むことが出来るように、心の育ちを大切にして保育を行ってきました。恐ろしい速さで社会が変革するこの時代に、心の育ちがより重要になっていくことを、改めて感じました。
主体性を育む一つに、協働することがあげられます。友達や保育者、お家の人と一緒にいろいろなことを取り組む中で主体性は育まれます。一緒に何かを行う時、自分の中で考えを持ち、お互いの思いを伝えたり、聞いたり、感じ合ったりします。その交わりを通して、自ら行動する意欲や力が培われるのです。子どもたちは遊びの中で、それぞれの思いを重ね、自然と遊びが広がっています。お互いを感じ合い、いつの間にか流れが決まり、決まったかと思えば、さらに変化し、その広がる世界は豊かで、無限です。新たな時代にこうした力は必要だと思います。
聖書の中で「同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」と書かれています。心を合わせ、思いを一つにすると考えると、行う中身まで一致しなければいけないように思えてしまいますが、そうではありません。同じ目標を持っていても、それに対する考え方は、それぞれ違います。そうした違いがあるから、考えが広がるのです。違いは豊かさであり、恵みなのです。自分の子と他の子と比べて、違うことを心配される話も耳にしますが、それは豊かさや個性の現れでもあるのです。その豊かさを持って、お互いに思いを合わせることが大切なのです。「同じ愛を抱く」の愛は、「互いに仕え、支え合う」ことを意味します。その思いを持つ者同士が、それぞれの違いを持って、仕え、支え合うことで、一人ひとりが自己肯定感に満たされ、自分の思いを出し合い、主体性が育まれるのです。今月も、子どもたちの交わりに寄り添い、歩んでいきたいと思います。

10月「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び」               (マルコによる福音書 4章8節より)

「芽生え、育って実を結ぶ種」                 園長 栗原武士
2学期になって一生懸命練習した運動会も終わりました。子どもたちは大きく成長しました。最初はうまくいかなかった運動会の種目も、「やってみよう」という気持ちを持って取り組み、友だちや先生からの声援、お家の人の後押しを頂きました。運動会当日は、お家の人に見せたい気持ち、友だちと楽しむ気持ちに溢れていて、自分のできる力を精一杯出し切り、輝いていました。この経験が、これからの園生活を更に豊かにしていきます。行事が続く2学期もいいスタートが切れました。

この運動会の後に、縄跳びに挑戦した子がいました。つばめ組さんの姿や、運動会に来ていた小学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんの縄跳びをする姿を見て触発されたようです。でも思うようには飛べません。縄を前に出して、片足ずつ飛ぼうとしています。自分の目で見た姿を再現しようとしています。繰り返しても失敗するので、声を掛けようと思ったその時、様子を見ていたお姉ちゃんが声を掛けて、見本を見せてアドバイスしていました。運動会だけでなく、縦割り保育など園生活を通して、自然に支え合う空気が出来上がっています。こうした繫がり合いに支えられて、子どもたちは成長するのだと改めて感じました。

今日の聖書の箇所でイエス様は、種を蒔く人のたとえ話をされました。この当時の種蒔きは、直接、種を土地に蒔いていました。すると、種の一部は、固い道の上や、石が多い場所、茨の中に落ちてしまい、上手に育たないこともありました。しかし、蒔き続ければ、多くは良い土地に落ち、種は芽生え、育って実を結ぶのだとイエス様は語られました。しかし、私たちはなかなか結果が出ないと心が折れてしまい、挑戦することをやめてしまいたくなる時もありますが、大丈夫です。私たちは繋がり合って育んだ良い土地の上にいるのです。その関わり合いの中で、励まされ、力を得ています。その繋がりに安心感を覚えるからこそ、何度でも挑戦できるのであり、その結果、成長していくのです。この良い土地は、子どもたちの関わりだけで作られるのではありません。お家の人との繋がりや、保育者との繋がり、お家の人と保育者の繋がりなどの多くの繋がりによって、開墾され良い土地になります。そうした中で育った子どもたちは、周りの人々との関わりを感じ、自分も同じように関わり合うようになります。こうして一人ひとりが受けた恵みは広がっていき、何倍もの実を結ぶのです。この恵みに感謝したいと思います。

9月「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカによる福音書5章4節より)

「言葉を受けて」          園長 栗原武士

日中はまだ暑いですが、少しずつ朝晩は涼しくなってきました。秋雨前線もやってきて秋の空気を感じています。夏休みも終わり、いよいよ2学期が始まりました。運動会やクリスマスなど、楽しい行事が沢山予定されています。子どもたちが2学期の歩みを通して更なる輝きを見せてくれることを今から楽しみにしています。

私はこの夏休み、沢山の生き物に囲まれて生活しました。もともと金魚を飼っていたのですが、子どもたちがカブトムシを頂き、カエルやメダカ、カナブンの幼虫を捕まえたので飼いたいということになりました。他にもタニシやエビも飼うことにしました。生き物を飼うことは、世話の必要もあり大変ですが、子どもたちはその生き物の生態に興味を持ち、自分たちで本を調べ、観察する中で沢山の発見をしました。実際にカエルが餌を食べる瞬間の動きを見た子どもは「図鑑に書いてあるけど、本物の動きってすごいね。」と驚きの声をあげました。こうして学んだことは忘れることはないでしょう。

子どもから生き物を飼いたいという声を聞くと、つい大変さを先に思い、「ダメダメ」と拒否することは多いと思いますが、飼う中で学ぶことは沢山あり、その中で大人も初めて知ったことが沢山あります。これは生き物を飼う話だけではありません。子どもから何かを体験してみたい、やってみたいという声を聞きます。当然、すべて希望通りに応えることは出来ませんが、そんな時、大人の経験や考えから先に答えを出してしまい、「ダメダメ」と拒否してしまうことがあります。そうすると子ども自身が体験し、経験するチャンスを失うことになります。それよりも体験する子どもに寄り添い、その時間や経験を一緒に共有することで、子どもはより経験を心に刻み、大人もそこからいろいろなことを学び、子どもと大人の関わりも深まるのです。

今日の聖書の箇所は、漁師であるシモンにイエス様が漁を勧める言葉です。この時のシモンは一晩中漁をして魚を捕まえられず、あきらめていた所に声を掛けられました。その後、彼が網を下ろすと大漁となるのですが、私たちも彼のように経験や思い込みに縛られていることが多いと思います。それに対し、子どもたちが心躍らせ、挑戦したい気持ちを出している姿に、ハッとさせられることがあります。自分たちもそうして挑戦し、失敗も成功も糧として成長してきたことを思い出します。子どもの挑戦する気持ちや心、それは神様から与えられた恵みだと思います。この2学期も子ども達の思いに寄り添い、支えていき、共に歩んで行きたいと思います。

7月「まことの光が輝いているからです。」 (ヨハネの手紙一 2章8節より)

「互いに照らし合って」          園長 栗原武士

  梅雨も中盤を迎え、紫陽花の花も美しい季節となりました。時折見せる晴天の日には子ども達は、どろんこあそびや散歩、草花や野菜の観察などを楽しみ、肌で自然を感じています。

 4月に入園したお友だちも、1学期の最後の月を迎えます。最初は、園の生活に慣れずに、涙することがありましたが、園でお気に入りの遊びや友だちが見つかると、園での生活が楽しくなり、笑顔で通えるようになりました。だんだんと自分の思いを出せるようになって、交わりも深まってきました。周りの様子も少し広く見えるようになり、いつも遊んでいる友だちだけではなく、仲間が広がり、クラスの保育もより豊かになっています。

思いを出し合って生活すると、思いがぶつかり合う時もあります。その結果、自分の思いが通らないことも当然出てきます。それによって悲しい気持ちや不安な気持ちが生まれます。そんな時に友だちや保育者、保護者の方々が、声をかけ、話を聞くことで、自分のことを考え、受け止めようとしてくれる人が側にいるということを知り、悲しい気持ちなどを乗り越えていくことが出来るのです。この支えられた記憶が、他の友だちが困っている時に、友だちを支える力へと変わるのです。

 聖書の中に、「まことの光が輝いている」と記されています。神様はまことの光で私たちを照らし、隠れている悲しい気持ちや、自分の本当の思いなどを明らかにして、ありのままの私たちを受け止めて下さるのです。そのことを私たちが感じられるように、神様は私たちに隣人を与えて下さいました。その隣人との関わりを通して、自分がありのまま受け入れられていることを知るのです。

子どもたちも、友だちや保育者、保護者の方々に支えられる中で、自分が肯定されていることに気付きます。「みんな違ってみんな良い」ということも、自分が周りに受け止められているからこそ、その違いを受け入れることが出来、お互いに支え合うことが出来るのです。そうすると、お互いの良さが響き合い、保育もよりダイナミックなものとなり、さらなる大きな成長へと繋がっていきます。お互いに照らし合い、受け止め合う者でありたいと願っています。

6月「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」(詩編 150編6節)

「力の限りに」                      園長 栗原武士

 本来、この時期は爽やかで過ごしやすいはずですが、すでに30度に迫る気温となりました。熱中症に気を付けながら、新緑の綺麗な時期を楽しんでいます。春に入園した子どもたちも、ずいぶん幼稚園生活に慣れきました。次第に自らの個性を発揮し始めています。

 自由遊びの時間の過ごし方は人それぞれです。砂遊びに打ち込む子どももいれば、大型遊具を繰り返し楽しむ子どもや、ボール遊びを先生や友だちとしている子どももいます。それぞれに真剣で、全力で遊んでいます。砂遊びをしている子どもに「何を作っているの」と声をかけると、「これはケーキなんだ。園長先生にも分けてあげるね。」と答えてくれました。そのあと作った、砂の料理の説明を聞くと、「これはカレーで、お父さんの分(ままごとの配役です)。こっちはね…」それぞれに考えや思いがこもっていて、嬉しそうに話していました。子どもたちは、遊びを作り出す天才です。大型遊具も子どもたちの目には、秘密基地になったり、お城になったりします。場面は無限大で、そこで生まれる決まり事も自然に発生し、友だちと調整しながら、遊びが変化します。こうした遊びは自己を表現する欲求から生まれます。それが深まると遊びの種類も増え、技術も身についてきます。するとさらに遊びが発展し、面白くなり、集中することを覚えていきます。身体を動かして考えることを体得すると、それが言葉で考えることに進んで行く力になります。力の限り遊びつくすことが、子どもの育ちにとって、必要な事だと思います。

 今月の聖句は「息あるものはこぞって」主を賛美することを勧めています。言い換えれば、「力の限り」賛美することを求めています。それは何故でしょうか。力の限り賛美することを通して、自分自身に神様から賛美する力が与えられていることに気づかされ、全力で取り組むうちに、その力が広がりを見せるのです。子どもたちは幼稚園で賛美歌を歌います。最初はなかなかうまく歌えなくても、だんだん歌声がきれいになると、いい気持ちになります。それが自信となり、歌声も大きくなります。それは一人だけが変わるのではなく、みんなが変わっていきます。全力で取り組むことは、みんなも変えていく力になるのです。賛美することは、何も歌う事だけではありません。生きるすべてが神様に捧げる賛美なのです。子どもたちにとっては「遊び」も「賛美」なのです。子どもたち自身が遊びを深められるように、傍で見守り、支えていきたいと思います。

3月「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (マタイによる福音書 28章20節)

「 いつもあなたがたと共にいる 」               園長 浦上 充
楽しい時は、あっという間に時間が過ぎていくもので、今年もこの時期を迎えました。3月は、子ども達だけでなく、私たち大人にとっても一年の締めくくりとなる大切な時です。幼稚園のそれぞれのクラスでは、これまでの1年間を振り返り、春に新しい名札をもらえるのを楽しみにしています。特につばめ組の子ども達は、これまで幼稚園で育んできた大切なことを、ひとつひとつ心におさめ、小学校という新しい世界に踏み出していこうとしています。この時を、共に歩むことが出来て、私たち教師はさみしさを覚えながらも、誇らしい気持ちで毎日を歩んでいます。
今月の聖書の言葉は、そんな私たちを力強く送り出す言葉が選ばれました。「いつもあなたがたと共にいる」。この言葉は、イエス様が話していたヘブライ語では「インマヌエル」と言います。クリスマスの最初の日、大天使ガブリエルがマリア様にイエス様を身ごもった事を伝えた時に出てきた言葉です。聖誕劇の歌の中にも出てきましたね。
私たちは、人生の中の様々な場面で岐路に立たされ、どの道を選ぶのが正解なのだろうかと悩み、また迷います。不安が伴います。安心も出来ません。それは、それだけ自分の人生を精一杯、一生懸命歩んでいる証拠でしょう。何歳になったとしても、どれ程の経験を重ねたとしても、皆、新しい世界に入っていくのは、とても不安だからです。今年、18人のつばめ組さんが幼稚園を卒園していきます。ぴかぴかに輝くランドセルを誇らしそうに背負い、幼稚園を巣立っていくためには、新しい世界に踏み出すための多くの勇気もいることでしょう。その時、私たちを支え導いてくれるのは、これまで私たちを支え導いてくれた神様のみ言葉です。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」この聖書のみ言葉の通り、子ども達が新たに歩み始める新しい世界も、決してひとりぼっちの世界ではありません。神様が共にいてくださる世界です。これから幼稚園を巣立っていく子ども達が、しっかりと自分の足で踏ん張って生きて行けるように、そして、春には新しい名札を胸に付けて、お兄ちゃん、お姉ちゃんとなって新入園児を迎える子ども達の上に、神様の豊かな祝福と恵みがありますように、お祈り致します。
最後になりましたが、園長である私(浦上 充)も、城之橋を巣立っていく事となりました。城之橋で過ごした10年の時は、私にとって大切な宝物です。私自身も今月の聖書のみ言葉を胸に携えて新しい一歩を踏み出します。神様の限りない愛と慈しみが皆さまの上に豊かにありますように。

2月「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」 (ローマの信徒への手紙 12章15節)

「すべての人と共に喜び合える世界」               園長 浦上 充
昨年とは打って変わって暖かい年明けを迎え、子ども達も、晴れ間を見つけては園庭で元気に走り回っています。これからの季節、雪が積もる日もあるでしょうが、子ども達がのびのびと雪遊びができるくらいに積もって欲しいものです。
子ども達の作品展と同様に、園舎の増築工事も仕上げ作業に入ってきました。多くのお祈りやお支えをありがとうございます。
2月に入り、今年度も残りわずかとなってきました。小さなクラスの子ども達は、お兄ちゃんやお姉ちゃん達から、遊びや工作などさまざまな事柄を見習いながら、幼稚園生活を満喫しています。2月は、そんな私たちにぴったりの聖句が与えられました。
みんなで力を合わせて、何かを成功させる喜びは、それを味わったことのある子にしか得られない快感です。皆、その喜びの原体験をもっているからこそ、大人になっても苦難に立ち向かい、みんなで一緒に力を合わせるという事が出来るのです。しかし、使徒パウロが『聖書』の中で語っている事は、自分の仲間同士だけでなく、自分とどうしても折り合いのつかない者同士や敵同士であったとしても、共に喜び、共に泣きなさいと言うのです。
良く知っている仲間、自分のことを大切にしてくれる仲間とであれば、嬉しいことがあった時には、自然と共に肩を抱き合って喜ぶこともできますし、悲しいことがあった時には、共に泣くこともできます。しかし、その相手が、お友達や仲間ではない場合、このことを実践するのは、とても困難です。世の中の理屈では、それが普通でしょう。
しかし、キリストはそうであってはならないと語りました。「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
この世のすべての人と仲間になることは、とても難しいことですが、一人でも多く本当の意味で、肩を抱き合って喜び合えるお友達を作っていきたいと思います。この城之橋幼稚園は、そのことを実践できる場所です。年齢や考え方が違っても、共に助け合い、喜び合い、肩を抱き合って泣くことのできる世界を、共に作っていきましょう。

1月「求めなさい。そうすれば、与えられる。」 (マタイによる福音書 7章7節)

「あこがれ ~求めるということ~ 」               園長 浦上 充
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。新しい年が恵み豊かな年となりますよう教職員一同お祈り申し上げます。
3学期は、幼稚園で過ごす一番期間の短い学期ですが、作品展や卒園式など、子ども達にとって、一年のまとめの時です。
子ども達は、この1年で本当に大きくなりました。春には、お母さんと離れるのが心細くて泣いていた子が、今では「いってきまーす!」と、元気な声で登園できるようになり、好きな遊びや得意なこともいっぱい見つけられました。幼稚園では、作品展の準備が進められています。今年はどんな作品が並ぶのかな? 大人たちの枠に納まりきらない子ども達の世界を感じていただければ幸いです。どうぞお楽しみに!
今月も、そのような大切な時期を過ごす私たちにぴったりの聖句が与えられました。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。」聖書の中でも、特に有名な箇所ですので、お聞きになった事がある方もいらっしゃるかもしれません。ぐんぐんと成長していく子ども達の背中をぐいっと押してくれるとても力強い聖書の言葉です。しかし、じっくり考えてみると、とても厳しい言葉でもあります。この聖句には、「求めない者には、与えられない」という意味も含まれているからです。
私たちは、生まれてからこれまでの間、本当の多くのことを求めて歩んできました。その中には、実際に願いが叶ったこともありましたし、途中であきらめてしまった願いもありました。しかし、その最初にあるのは、「○○がしたい!」という夢や「○○になりたい!」という「あこがれ」です。この「あこがれる」という思いは、何かを成し遂げたいという強い思いの源となり、求め続けていく原動力となります。その力を持っている子どもは、着実にその夢の実現に向けて歩みを進めることでしょう。
つばめ組さんは、クリスマスの聖誕劇や作品展を通して、心の中にある願いや思いを、力いっぱい表現しています。そして、小さいクラスの子ども達は、そのようなつばめ組さんが夢に向かって力強く歩んでいる姿をあこがれのまなざしで見つめています。
幼稚園は、このかけがえの無い時を、大切に過ごしていきたいと思います。2019年も、祝福に満ちた年となり、夢に向かって力強く歩む年となりますよう願っています。

12月「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」 (マタイによる福音書 2章10節)

「イエス様への贈りもの」                    園長 浦上 充
メリー クリスマス! 今年も、待ちに待ったクリスマスがやってきます。幼稚園では毎日、聖誕劇(ページェント)のセリフや合唱の美しい声が元気に響いています。
クリスマス前の4週間の期間を、キリスト教では「アドヴェント」と言います。日本語では、「来る」という意味であり、イエスさまがお生まれになるのを、まだかまだかと待ち望む季節であり、幼子の誕生に向けて、準備をする季節でもありあます。
今月の聖句として与えられた、東方の学者たち(三人の博士)のクリスマスへの旅は、正に、待ち望むアドヴェントの歩みでした。
伝承では、彼らはバビロニア、インド、エチオピアから、星を頼りに旅を続けたと言われています。何千キロにも及ぶ遠く長い旅でした。それも、彼らがその旅の頼りにしたのは、救い主が生まれることを告げる大きな星と大昔(紀元前2000年頃)に書かれた「救い主がお生まれになる」という預言書だけでした。彼らは、その預言を信じて、旅を続けたのです。博士たちが、劇の中で朗読するこの預言書は、メソポタミア文明の楔形(くさびがた)文字として、小学生4年生の社会の教科書に掲載されています。
博士たちは、黄金、乳香、没薬という、宝物を携えてクリスマスへの旅をつづけました。この宝物は、一つで家が何軒も建つほどのたいへん高価なものです。彼らは、自分に出来る精一杯の贈り物を持って来ました。残ったお金で用意したものではありません。献げ物には、その人の心が伴うからです。
クリスマスの日、神様は私たちひとりひとりの姿を見ておられます。クリスマスへの長い旅路の間、今年一年の間にあった苦しかった思いも、楽しかった思いも、悲しかった思いも、すべてをちゃんと見てくださいます。
クリスマスが近づいてきました。自分が貰うばかりではなく、クリスマスの本来の意味である、自分から差し出すことも覚えたいと思います。
全ての人々に与えられているクリスマスの恵みを共に味わい、共に祝いましょう。

11月「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」 (ヨハネによる福音書 15章1節)

「神さまの愛はどこまで届く?」                 園長 浦上 充
11月になり秋も深まってきましたね。つばめ組さんは聖誕劇の準備が始まりました。大人の私たちは「そろそろ車の冬タイヤを準備しないと…」と、年末に向けて忙しない毎日をおくる日々ですね。一方、秋を迎えてグンと成長した姿を見せてくれるのが子ども達です。今月も、この季節を身体と心でいっぱいに味わいながら歩んでいきたいと思います。今月の聖書の言葉も、そんな私たちにぴったりのお言葉をいただきました。
皆さんは、ぶどう園に行った事があるでしょうか? ぶどうの枝は、棚の端から端まで大きく広がっていますが、どこから生えているのか、探してもすぐには見つかりません。注意してみていくと、離れたところに細い幹がありました。あたり前の事ですが、どんなに遠くにある実も、しっかりと枝に繋がり、必ずその枝にまで栄養は届くのです。
以前、ぶどう園に行った際に一つのことを試しました。ぶどうの幹から「一番近くに成っている実」と、「一番遠くになっている実」の味の違いを食べ比べたのです。せっかく、食べたり持って帰ったりするなら、出来るだけ「美味しくて甘い実」だけを選びたいと思ったからです。
予想では、幹に近いぶどうの方が美味しいと思っていたのですが、結果は違いました。どちらも同じように甘くておいしいのです。
イエス様は、聖書を通して、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」と言われました。そして、そのイエス様のぶどうの木につながっているのは、「枝」である私たちであり、甘くて大きな実をつけるようにと世話をしてくれるのは、農夫である神さまです。
私たちは、枝としてイエス様という幹にしっかりと繋がり、流れてくる栄養をしっかりと受けとめています。そして、その栄養は、「ぶどうの木」と同じように、どれほど離れた枝にもちゃんと届き、どの実も同じように甘くておいしい実となるのです。
私たちは、生涯を歩む中で、どのような実をつけるのでしょうか? また、この子ども達は、その人生を歩んでいく中で、どのような実をつけるのでしょうか? 私たちもしっかりとイエスさまにつながりながら、農夫である神さまの愛をいっぱいにうけて、今月も歩んで行きたいと願います。

10月「成長させてくださったのは神です」 (コリントの信徒の手紙Ⅰ 3章6節)

「目には見えない力」                      園長 浦上 充

運動会が終わり、いよいよ秋本番となりましたね。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。幼稚園では、どんぐり拾い遠足や収穫感謝祭、クッキングなど、秋ならではの楽しい行事をたくさん企画しています。
この時期に特に感じるのは、子ども達の大きな成長です。夏休みには思いっきり遊び、運動会も終わって、幼稚園の子ども達は一段とたくましい顔になってきました。特につばめ組さんは、あと1か月もするとクリスマスの聖誕劇の練習も始まります。この秋の季節に、もりもり食べて存分に体を動かし、身体的にも精神的にも大きく成長して欲しいと願っています。
今月、与えられた聖書の言葉も、そんな成長していく子ども達を見つめる大人にとっても、大切な言葉です。
「成長させてくださったのは神です」。この言葉は、使徒パウロがコリントの教会の人々に宛てた手紙の一節です。どうやらこの時、コリントの教会では、信徒同士が喧嘩をしていたようです。それも、その喧嘩の原因は、「自分は○○の弟子である」といった、人間的な事が原因でした。
野菜や果物を育てる時、その苗を植える人や毎日水をあげる人は、はっきりと目に見えます。しかし、「成長させる力」は、私達の目には見えません。その為、私たちは、あたかも植えたり、水をあげた人が、その苗を成長させているかのように錯覚してしまいます。確かに、その人が苗を植えなければ、葉は茂りませんし、水をあげなければ枯れてしまったことでしょう。しかし、その苗を成長させたのは、その人の力だけではありません。
今年も、収穫の秋を迎え、新米の美味しい季節となりました。お芋やどんぐり、ハロウィンのかぼちゃなど、この時期多くの喜びを収穫します。この美味しいごはんをつくってくださった方に感謝しつつ、また同時に、目に見えないところでその一つ一つを成長させてくださった神様に、感謝をささげたいと思います。
この秋の恵みを共に喜びながら分かち合いましょう!

8月「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」(ルカによる福音書 19章6節)

「神さまのまなざしの中」                園長 浦上 充

まだ暑い日が続いていますが、少しずつ朝晩が涼しくなってきましたね。待ちに待った2学期の始まりです。運動会やどんぐり遠足、クリスマスなど、楽しい行事がいっぱいです。今学期も子ども達と共にかけがえのない時を歩んで行きたいと思います。
夏休みには、いろいろな所に出かけて行き、楽しい思い出を作られたのではないでしょうか? 私もこの夏には、いろいろな所の研修会に行き、多く学びと共に多くの出会いがありました。長崎ちゃんぽん、静岡おでん、関西のお好み焼きも忘れられません。美味しい食事と共に思い出されるのは、そこで出会った多くの方々の姿です。
今月の聖書のみ言葉は、ザアカイとイエス様との出会いの場面が記されています。ある町にザアカイという人がいました。彼は徴税人であり、人々からとても嫌われていました。徴税人とは、文字通り税金を取り立てる人ですが、実際は役人の下請けとして、暴力によって税金を取り立てる忌み嫌われた存在でした。ザアカイはその頭領だったのです。
そのザアカイの住むエリコの町にイエス様が来られました。彼も、救いを求めて、イエス様に群がる人だかりの中に入っていきましたが、群衆からはじき出されてしまいました。恐らく皆、ザアカイが来たことを知って、わざと立ちはだかったのでしょう。そこで彼は、木に登りました。木に登れば、人よりも背の低い自分でもイエス様の姿を見る事が出来ると思ったのです。その時、奇跡が起こりました。イエス様ご自身が木に近づいて来て、ザアカイに声をかけたのです。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
この言葉が、ザアカイの心にどれほど響いたことでしょうか。彼はこれまで人から蔑まれ、のけ者にされた人生を歩んできました。それは、徴税人の頭領になった今も同じです。有り余るほどの財産を持ち、生活に困っていませんでした。しかし、彼の名を、親しみをもって呼んでくれる友達はどこにもいませんでした。
彼は、イエス様によって名前を呼んでもらった事によって初めて、自分自身が神様から覚えられていた事、神様がちゃんと見てくれていた事に気が付いたのです。この出来事がザアカイの人生を変えました。彼は、自分自身の歩みを懺悔し、自分の財産を貧しい人々に施し、すべてを捨ててイエス様に従いました。
ザアカイと同じように、イエス様は私達の姿もちゃんと見ていてくださいます。どんなに小さくうずくまっていたとしても、ちゃんと姿を見つけ、私達の名を呼び、声をかけてくださいます。このイエス様のまなざしの中で、2学期も共に歩んでいきましょう。

7月『主よ、わたしたちにも祈りを教えてください』(ルカによる福音書 11章1節)

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「天にまします我らの父よ」                    園長 浦上 充
 雨に映える紫陽花の花も美しい季節となりました。まだ梅雨が続いていますが気持ちの良い晴れ間を縫って、城之橋の子ども達は、どろんこあそびをしたりお花のお世話をしたりと、季節の移ろいを肌で感じています。
教会に初めて来られる方や、キリスト教に関心のある方から「キリスト教の教えの中心は何なんですか?」とよく聞かれます。私はそんな時にはいつも「お祈りです」と答えるようにしています。
聖書の中には、イエス様が祈っておられる姿が、何度も記されています。今月のみ言葉は、そんなイエス様に弟子達が「祈りを教えてください」とお願いした箇所です。
一般的に、神様にお祈りすると聞いて、私達が連想するのは、「商売繁盛」や「世界平和」など、お正月に初詣に行って、一年の抱負を願うものであったり、七夕の時に短冊に書く「将来の夢」や「自分の願い」であったりします。しかし、多くの方は、その祈りを誰に捧げているのか、はっきりしていない事が多いのではないでしょうか。
キリスト教では、お祈りする神様に対して「天の父なる神様」と、自分の父親のように呼び掛けてお祈りします。それは、どこか遠くにいて、願いを叶えてくれる超越的な存在ではなく、まるで自分の両親のように子どもにとって大切なものを考えて与えてくれる存在です。ですから、お祈りしたことが、そのまま叶うとは限りません。それは、子どもが「おもちゃ買ってー」と願っても、その通りにならないのと同じです。
城之橋教会は、少し前にアメフトで話題となった関西学院大学と同じ系列の教会です。城之橋幼稚園の子ども達と同じように、関学のアメフト部は、試合や練習の前には、必ず「お祈り」をしてから始めます。誰も、試合に負けたいと思っていません。誰よりも強く「勝ちたい」という願いを持っています。もちろん、試合での勝利もお祈りますが、彼らがそれ以上に、その時のお祈りで大切にしているのは、「勝っても負けても、最高の試合に成りますように」という、与えられた時を大切に過ごさせてくださいという願いです。
神様に対して「お父さん」と呼びかけるお祈りによって、子ども達の心は培われていきます。私たちもこの子ども達のように、お祈りの力を信じながら歩みましょう。

 

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関学アメフト部 前で祈りを捧げているのは、関学神学部教授の前島宗甫牧師。
私(園長、浦上)の恩師。私が在学中の当時から「アメフト部の祈り」については、話を良く聞いていました。

6月『空の鳥をよく見なさい。あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。』(マタイによる福音書 6章26節)

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「心を育む場所」                         園長 浦上 充

爽やかな新緑の季節となりました。春に入園してきた小さな子ども達も次第に幼稚園に慣れ、個性溢れる様々な姿を見せてくれています。お家でも、幼稚園でならった讃美歌を歌ってくれたり、ごはんを食べる前に手を合わせてお祈りしたりする姿を見せてくれているのではないでしょうか?
私は、子ども達と一緒にお祈りする前には、いつも「手を合わせ、目を閉じて、心の目を開きましょう」と語り掛けてからお祈りをするようにしています。私たち大人は、「心の目を開きましょう」と言われても、何をどのようにすれば良いのか分からず、途方に暮れてしまいますが、子ども達は本当に素直に、自分たちのお心の中にある「心の目」をイメージし、しっかりと心の目を開いて神さまを見つめています。
日々の生活の中で、子ども達が自然に経験している、目には見えない「自分の心」の存在を意識する力や「心の目を開いて」お祈りをする経験は、これからこの子ども達が、生きていくための大きな力になっていきます。
今月私たちには、イエス様が弟子たちに語られた、「空の鳥をよく見なさい。あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」という言葉が与えられました。
私たち大人は、こんなことを言われても、「いや、でも鳥は鳥で自由に生きているのだから、神さまの存在なんて意識していないでしょうに」と思ってしまいます。しかし、大切なのは、そのような空の鳥を見て「どのように感じるのか」という事です。
「目に見える世界」の中だけで、空の鳥をみても、それは単なる動物としての「鳥」だけです。同じように私たち人間も、物質的には、単なる「人」です。しかし、心の目を開いて、その世界を見つめると、その鳥一羽一羽の中に美しい人生があり、葛藤があり、歌声が溢れています。
幼稚園は、子ども達の「心」が養われる大切な場所です。私たち大人も、そんな子ども達の姿を見つめながら、忘れかけていた純粋な気持ちを思い出し「心の目」を開いてこの素晴らしい世界を見つめていきましょう。

5月『わたしは良い羊飼いである』(ヨハネによる福音書 10章11節)

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「お祈りの力」                          園長 浦上 充

新緑が溢れる季節となりました。おさんぽに出かけるのにも良い季節ですね。入園してきた小さなお友だちも幼稚園に慣れ、園舎には元気な声が響いています。
幼稚園では、毎日のお礼拝だけでなく、給食を食べる前やお帰りの時にも「お祈り」をします。子ども達は「お祈り」を通して、「神様と向き合うこと」そして「自分自身と向き合うこと」を学びます。たとえば、人込みの中など多くの雑音の中にいたとしても、手を合わせ目をつむり、心の目を開く時、その人はその時、神様と自分との関係の中に身を置き、自分自身の姿をふりかえる事が出来るようになるのです。
近年、脳科学の分野では、幼い頃から「お祈りの習慣」を持つ人は、「祈ること」で脳が変化し、小さなことに幸せを感じたり、人に感謝する気持ちを持ちやすいという統計が発表されました。(ペンシルバニア大学の研究グループ)
これは何も、キリスト教の事だけを言っている訳ではありません。昔から、時代や宗教を越えて、皆が大切にしてきたことです。ごはんを食べる時に、「いただきます」と手を合わせ、お堂の前を通る時や鳥居をくぐる時に頭を下げてきた習慣が、私たちの心を育み、人間性や情緒を育んできました。
幼稚園では、入園してきた小さな子ども達も、お友だちといっぱいお話しをしながら一緒に遊んでいます。とは言っても、小さな子ども達の中には、まだ「ことば」が話せない子どもも多くいます。それでも思いを共有したり、一緒に遊ぶことができるのです。この子ども達の姿を見ながら、改めて、学力や言語コミュニケーションといった目に見える「認知的能力」の元となる、お友達のお心を気遣ったり、目標に向かって頑張ろうとする力である「非認知的能力」の大切さに気付かされました。
学力やIQといった数値で測る事の出来る能力とは違い、「人とうまく関わる力」や
「目標に向かって頑張る力」、「感情をコントロールする力」は、数値にあらわすことが出来ません。城之橋の子ども達は、日々の「お祈り」や年齢の違う子ども達同士の遊びの中で、それを学んでいます。私たちも、このお祈りの力を信じて、子ども達が、これからも健やかに成長して行けますよう、祈りを合わせていきたいと願います。

 

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