学校法人 福井城之橋学園/城之橋幼稚園

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今月の園長メッセージ

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7月『主よ、わたしたちにも祈りを教えてください』(ルカによる福音書 11章1節)

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「天にまします我らの父よ」                    園長 浦上 充
 雨に映える紫陽花の花も美しい季節となりました。まだ梅雨が続いていますが気持ちの良い晴れ間を縫って、城之橋の子ども達は、どろんこあそびをしたりお花のお世話をしたりと、季節の移ろいを肌で感じています。
教会に初めて来られる方や、キリスト教に関心のある方から「キリスト教の教えの中心は何なんですか?」とよく聞かれます。私はそんな時にはいつも「お祈りです」と答えるようにしています。
聖書の中には、イエス様が祈っておられる姿が、何度も記されています。今月のみ言葉は、そんなイエス様に弟子達が「祈りを教えてください」とお願いした箇所です。
一般的に、神様にお祈りすると聞いて、私達が連想するのは、「商売繁盛」や「世界平和」など、お正月に初詣に行って、一年の抱負を願うものであったり、七夕の時に短冊に書く「将来の夢」や「自分の願い」であったりします。しかし、多くの方は、その祈りを誰に捧げているのか、はっきりしていない事が多いのではないでしょうか。
キリスト教では、お祈りする神様に対して「天の父なる神様」と、自分の父親のように呼び掛けてお祈りします。それは、どこか遠くにいて、願いを叶えてくれる超越的な存在ではなく、まるで自分の両親のように子どもにとって大切なものを考えて与えてくれる存在です。ですから、お祈りしたことが、そのまま叶うとは限りません。それは、子どもが「おもちゃ買ってー」と願っても、その通りにならないのと同じです。
城之橋教会は、少し前にアメフトで話題となった関西学院大学と同じ系列の教会です。城之橋幼稚園の子ども達と同じように、関学のアメフト部は、試合や練習の前には、必ず「お祈り」をしてから始めます。誰も、試合に負けたいと思っていません。誰よりも強く「勝ちたい」という願いを持っています。もちろん、試合での勝利もお祈りますが、彼らがそれ以上に、その時のお祈りで大切にしているのは、「勝っても負けても、最高の試合に成りますように」という、与えられた時を大切に過ごさせてくださいという願いです。
神様に対して「お父さん」と呼びかけるお祈りによって、子ども達の心は培われていきます。私たちもこの子ども達のように、お祈りの力を信じながら歩みましょう。

 

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関学アメフト部 前で祈りを捧げているのは、関学神学部教授の前島宗甫牧師。
私(園長、浦上)の恩師。私が在学中の当時から「アメフト部の祈り」については、話を良く聞いていました。

6月『空の鳥をよく見なさい。あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。』(マタイによる福音書 6章26節)

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「心を育む場所」                         園長 浦上 充

爽やかな新緑の季節となりました。春に入園してきた小さな子ども達も次第に幼稚園に慣れ、個性溢れる様々な姿を見せてくれています。お家でも、幼稚園でならった讃美歌を歌ってくれたり、ごはんを食べる前に手を合わせてお祈りしたりする姿を見せてくれているのではないでしょうか?
私は、子ども達と一緒にお祈りする前には、いつも「手を合わせ、目を閉じて、心の目を開きましょう」と語り掛けてからお祈りをするようにしています。私たち大人は、「心の目を開きましょう」と言われても、何をどのようにすれば良いのか分からず、途方に暮れてしまいますが、子ども達は本当に素直に、自分たちのお心の中にある「心の目」をイメージし、しっかりと心の目を開いて神さまを見つめています。
日々の生活の中で、子ども達が自然に経験している、目には見えない「自分の心」の存在を意識する力や「心の目を開いて」お祈りをする経験は、これからこの子ども達が、生きていくための大きな力になっていきます。
今月私たちには、イエス様が弟子たちに語られた、「空の鳥をよく見なさい。あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」という言葉が与えられました。
私たち大人は、こんなことを言われても、「いや、でも鳥は鳥で自由に生きているのだから、神さまの存在なんて意識していないでしょうに」と思ってしまいます。しかし、大切なのは、そのような空の鳥を見て「どのように感じるのか」という事です。
「目に見える世界」の中だけで、空の鳥をみても、それは単なる動物としての「鳥」だけです。同じように私たち人間も、物質的には、単なる「人」です。しかし、心の目を開いて、その世界を見つめると、その鳥一羽一羽の中に美しい人生があり、葛藤があり、歌声が溢れています。
幼稚園は、子ども達の「心」が養われる大切な場所です。私たち大人も、そんな子ども達の姿を見つめながら、忘れかけていた純粋な気持ちを思い出し「心の目」を開いてこの素晴らしい世界を見つめていきましょう。

5月『わたしは良い羊飼いである』(ヨハネによる福音書 10章11節)

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「お祈りの力」                          園長 浦上 充

新緑が溢れる季節となりました。おさんぽに出かけるのにも良い季節ですね。入園してきた小さなお友だちも幼稚園に慣れ、園舎には元気な声が響いています。
幼稚園では、毎日のお礼拝だけでなく、給食を食べる前やお帰りの時にも「お祈り」をします。子ども達は「お祈り」を通して、「神様と向き合うこと」そして「自分自身と向き合うこと」を学びます。たとえば、人込みの中など多くの雑音の中にいたとしても、手を合わせ目をつむり、心の目を開く時、その人はその時、神様と自分との関係の中に身を置き、自分自身の姿をふりかえる事が出来るようになるのです。
近年、脳科学の分野では、幼い頃から「お祈りの習慣」を持つ人は、「祈ること」で脳が変化し、小さなことに幸せを感じたり、人に感謝する気持ちを持ちやすいという統計が発表されました。(ペンシルバニア大学の研究グループ)
これは何も、キリスト教の事だけを言っている訳ではありません。昔から、時代や宗教を越えて、皆が大切にしてきたことです。ごはんを食べる時に、「いただきます」と手を合わせ、お堂の前を通る時や鳥居をくぐる時に頭を下げてきた習慣が、私たちの心を育み、人間性や情緒を育んできました。
幼稚園では、入園してきた小さな子ども達も、お友だちといっぱいお話しをしながら一緒に遊んでいます。とは言っても、小さな子ども達の中には、まだ「ことば」が話せない子どもも多くいます。それでも思いを共有したり、一緒に遊ぶことができるのです。この子ども達の姿を見ながら、改めて、学力や言語コミュニケーションといった目に見える「認知的能力」の元となる、お友達のお心を気遣ったり、目標に向かって頑張ろうとする力である「非認知的能力」の大切さに気付かされました。
学力やIQといった数値で測る事の出来る能力とは違い、「人とうまく関わる力」や
「目標に向かって頑張る力」、「感情をコントロールする力」は、数値にあらわすことが出来ません。城之橋の子ども達は、日々の「お祈り」や年齢の違う子ども達同士の遊びの中で、それを学んでいます。私たちも、このお祈りの力を信じて、子ども達が、これからも健やかに成長して行けますよう、祈りを合わせていきたいと願います。

 

2018年度『愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、 わたしたちも互いに愛し合うべきです。』(ヨハネの手紙Ⅰ 4章11節)

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「こどもが真ん中」                        園長 浦上 充

ご入園、ご進級、おめでとうございます。
満開の桜が、子ども達の新しい歩みを祝福しています。認定こども園城之橋幼稚園は今年、19名の新しいお友だちを迎えました。これから、たくさんの楽しい出会いと、わくわくするような出来事が待っています。
また今年の春には、私たち「幼保連携型認定こども園」の在り方を示す「認定こども園 教育・保育要領」が改訂し、改めて城之橋幼稚園のこれからの教育について考える機会が与えられました。この改定では、これまで「保育園」化してしてきた「認定こども園」の在り方が根本から否定され、ただ単に子どもを長時間預かるだけの施設を増やすのではなく、子どもの成長や情緒面など、本当に大切なことが何であるのかが示されました。ご近所さんの中では、城之橋幼稚園が認定こども園に移行して「保育園になった」と誤解されていた方も多かったのですが、この新しく改訂された「教育・保育要領」の中身は、城之橋がこれまで大切にしてきた、幼稚園の先生だけでなく、保護者の方々と一緒に「子ども達をいつも真ん中において考えること」が示されており、これまで城之橋が、子ども達の姿や保護者の皆様と一緒に考えながら積み上げてきた91年間の城之橋の姿が、確かに間違っていなかったことを、改めて実感する事が出来ました。
2018年度の年間聖句には、そんな私たちの中心となる、「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」という聖書の御言葉(みことば)が与えられました。
人は、愛された経験が無ければ、人を愛する事が出来ません。どれだけ科学が発達し、研究が進んだとしても、自分が経験していない事を、人に与える事は難しいのです。そしてそれが、「愛」や「気持ち」といった目に見えないものであれば、なおさらです。
私たちは、皆、多くの人々の「愛」の中で、育まれてきました。それは、城之橋91年歴史の中でも同じです。戦争がありましたし、大きな地震もありました。それでも幼稚園の先生方と保護者の皆さんと共に、子ども達の健やかな成長を祈り、共に悩んだり、喜んだりしながら歩んできました。
時代が変わりましたが、それでも決して変えてはいけない事があります。私たちは、多くの人たちの「愛」に包まれ、育まれてきました。その愛を、また自分の子ども達にしっかりとつないでいきたいと思います。これから歩む一年間が、多くの発見とやさしさの詰まったものとなりますようお祈りいたします。

3月『あなたの未来には希望がある』(エレミヤ書 31章17節)

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「希望の歩み」                          園長 浦上 充

3月は、幼稚園だけでなく、子ども達や皆さんのご家庭にとって、とても大切な時です。幼稚園の各クラスでは、これまで1年間学んできたことを振り返り、これから一つ大きくなる為の大切なまとめの時を守っています。特につばめ組さんは、幼稚園での生活を締めくくる卒園式の準備を通して、これまで幼稚園で育んできた大切なことを、ひとつひとつ心におさめ、小学校という新しい世界に踏み出していくかけがえのない時を過ごしています。
子ども達の成長は本当に早いもので、給食で嫌いなものが出てきて食べられないと悩んでいると思ったら、次の日には、けろっとした顔で軽々と困難を越えていったり、前の日には出来たはずなのに、また出来なくなってしまったりと、本当に様々な事がありますね。
「あなたの未来には希望がある」。今月私たちに与えられた聖書の言葉は、そんな新しい世界へと子ども達を押し出す、希望に満ちた力強い言葉が与えられました。もちろん、私たち大人は、子ども達がこれから歩む先に「希望」だけでなく「苦悩」や「葛藤」があることを知っています。しかし、聖書は、それをすべて知りながら、それでも「あなたの未来には希望がある」と言い切るのです。ここに強い力があります。
私たちの住む世界は、この数十年で大きく揺れ動いてきました。毎月幼稚園で行われる「お誕生会」では、大きなクラスの子ども達を中心に、「大きくなったら何になりたいですか?」と、将来の夢を聞いています。そこで子ども達が嬉しそうに答えてくれる「新幹線の運転手」や「パン屋さん」は、将来的に存在しない職業かもしれませんし、世界の在り方が、根本的に大きく変わっているかもしれません。それでも私たちは、お誕生会の時には、毎月同じ質問を子ども達にしていきます。それは、「将来、大きくなったらこんなことがしたい!」「こんな風になりたい!」と、これから歩んでいく新しい世界に目を輝かせて、踏み出していく子ども達の姿を信じているからです。
幼稚園での歩みは、この子ども達の将来を信じる事から始まります。これから幼稚園を巣立っていく子ども達が、しっかりと自分の足で踏ん張って生きて行けるように、そして、春には新しいバッチを胸に付けて、お兄ちゃん、お姉ちゃんになって新入園児を迎える子ども達の上に、神さまの豊かな祝福と恵みがありますように、お祈り致します。

2月『愛は、すべてを完成させるきずなです。』(コロサイの信徒への手紙 3章14節)

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「愛」                              園長 浦上 充

毎日寒い日が続き、雪も多い年を歩んでいますが、幼稚園の子ども達は、毎日元気いっぱい過ごしています。
先日、幼稚園の先生方と今月の聖書の言葉を読みながら、様々なことを話し合いました。「今月の聖句は、とても美しい言葉だけれど、実際に実行するのは、とても難しいですよね。」「私たちが、その子の事を考えて保育をしたとしても、押し付けてしまうと、お互いに辛くなってしまいますし、愛って難しいですよね。」
その通りです。「愛」という言葉には、すべてをあたたかく包む優しさがありますが、捉え方によっては、その「愛」によって人を傷つけたり、人に重くのしかかるものになったりするのです。
今月与えられた聖句は、「愛」は、すべてを完成させる「きずな」であると記しています。つまり、「その子を愛しているから、○○してあげたい」と頭や心で考えて、行動に移すのが「愛」であると言うのではなく、お迎えに来たお父さんやお母さんが、子どもをぎゅっと抱きしめている様子や、子ども達が喧嘩しながらも、話し合いながら仲直りをしていく様子を「愛」と言い、また「きずな」であると言っているのです。
幼稚園では今、作品展の準備が進められています。城之橋の作品展は、子ども達に、「ここにはこの色を塗りなさい」「このお手本通りに、作りなさい」と、先生が完成までの道筋をすべて決めて進めるのではありません。子ども達との話し合いの中から自由な発想が生み出され、皆で様々な出来事を積み重ねながら作品を作っていきます。そのすべての作品は、大きさが決まっている額縁の中には納まりません。それは、それだけ子ども達の一人一人の思いが強いからです。
「こうしなさい」と押し付けるのが「愛」でないのと同じように、相手の言う事をすべて受けて入れていくことも「愛」ではありません。一つの作品を作っていく中で、時には喧嘩をしながらも、一緒に話し合いながら進めていく中に「愛」と「きずな」が育まれています。「作品を完成させること」が、目的ではありません。「お友達と一緒に作品を作り上げていく中で、愛ときずなを育んでいくこと」が目的なのです。
今月も、このかけがえのない時を、大切に歩んでいきたいと思います。

1月『見よ、わたしはあなたと共にいる。』(創世記 28章15節)

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「神さまといっしょに」                      園長 浦上 充

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。新しい年も恵み豊かな年となりますよう、教職員一同お祈り申し上げます。
3学期の始まりです。一年で一番短い学期ですが、子ども達にとっては「まとめの時」であり、「旅立ちの時」であります。この一日一日を大切に歩んできたいと思います。
年末、教会のお正月飾りを考えている中で、「お正月らしい絵は、どんなものなのだろうか?」思い、調べてみました。最初に出てきたのが、葛飾北斎の「富嶽三十六景」でした。驚いたことに、彼がこの作品を、描き終わったのは71歳という高齢であり、しかもタイトルから36枚だと思っていたら、実際は46枚あったのです。
「富嶽」とありますから、描かれているのは「富士山」です。様々な地域から、そこで生きる人々の営みを織り交ぜながら、美しく描かれています。彼にとって、富士山は、どこに行ってもその姿が見える、大きな存在だったのでしょう。この46枚をじっくりと見ていて、気が付きました。この「富嶽三十六景」の版画の中に、たった一枚だけ、「富士山」が描かれていない絵があります。それは「諸人登山(しょにんとざん)34枚目」です。富士山に登っている時の絵ですから、富士山の姿が見えないのは当然です。しかしこの絵には、他の富士山の絵には見られない、山登りの厳しさと、大きな存在に包まれている安心感がありました。
幼稚園の子ども達は、この1年で本当に大きくなりました。春には、なかなか朝のご挨拶ができなかった子が、今では元気な声で挨拶が出来るようになり、好きな遊びや得意な事も増えてきました。子ども達がこれまで積み重ねてきた一つ一つの経験は、確かに子ども達を成長させています。大人から見れば、幼稚園の時期は子どもが小学校に進む為の準備の時と思いがちです。しかし、子ども達の一日一日の歩みの中には、かけがえのない感動があり、学びがあります。
山を一生懸命 登っている時には、頂上は見えません。しかし、神さまは、そんな先の見えない登り坂も、道に迷わないようにと、私たちのそばに寄り添い、支えてくださいます。
2018年も、祝福された年となりますように。共に神さまの見守りの中で歩んでいきましょう。

12月『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』(ルカによる福音書2章14節)

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「メリークリスマス!」                      園長 浦上 充

メリー クリスマス!
今年も、子ども達が大好きなクリスマスがやってきます♪ 幼稚園では毎日、聖誕劇(ページェント)のセリフや合唱の美しい声が元気に響いています。
クリスマスの日、イエス様はベツレヘムの家畜小屋(馬小屋)でお生まれになりました。温かいお布団も柔らかい産着もなく、石で出来た冷たい飼い葉おけに寝かされていました。誰もこんな場所での出産を望んではいませんでした。特に母であるマリア様は初産でしたし、旅の途中、しかも助産師さんも宿も無い場所での出産です。さぞかし心細かったことでしょう。
しかし、この日から世界は動き始めました。それまでは、貧しい者が虐げられ、力を持つ者だけが得をしていた世の中でしたが、神様の「愛のしるし」であるイエス様が生まれたことによって、すべての人々が、等しく神様の愛と恵みの内に祝福されているということを知らされたのです。
クリスマスの夜、野原で野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、神様から遣わされた天使たちは語りかけました。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。この言葉には、「あなたがたは、決して神様から見捨てられた存在ではありませんよ」「この地上が平和と愛で満たされますように」「全ての者がやさしい心で人を迎え入れる事が出来ますように」という、神様の「愛」がいっぱい詰まっています。
クリスマスは、何不自由なく平和な日常を歩んでいる人や裕福な人々が、パーティを楽しむ為にあるのではなく、サンタさんがなかなか来てくれない貧しい人々、不当に差別され、息苦しい世界の中でやっとの思いで日々を歩んでいる人々、不自由なく生きるための経済的な基盤はあるけれども、心に虚しさを抱えている人々を救う為に、神様から与えられました。
「メリー クリスマス!(クリスマスおめでとう!)」。
この言葉には、確かな力があります。人々に笑顔をもたらす力です。今年は、イエス様がお生まれになってから2017回目のクリスマスを迎えます。この恵みの時を共に待ち望みましょう。

11月『二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。』(マタイによる福音書18章20節)

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「500年ぶりの仲直り」                      園長 浦上 充

どんぐり遠足やいもほり遠足。子ども達の毎日は、秋の楽しい思い出でいっぱいです。
世界のニュースでも話題となっていますが、今年の秋、世界中のキリスト教は2つの大きな記念日を迎えました。一つは、「宗教改革500周年」です。今から500年前の1517年10月31日、ドイツの修道士であったマルティン・ルターが、ヴィッテンベルク城教会の扉に「95か条の提題」を打ち付けました。城之橋幼稚園が属するプロテスタント教会の始まりの時です。クリスマスには欠かせないクリスマス・ツリーやクリスマス・キャロルを世界で最初に生み出したのも、このマルティン・ルターです。
そしてもう一つは、「ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会(ルーテル教会)の和解」です。これまでカトリックとプロテスタントは、ずっと戦争を繰り返してきました。同じ神様を信じているのに、ずっと互いを憎しみ続けてきたのです。何度となく繰り返された争いは近代まで続き、二つの大きな世界大戦にまで至りました。
しかし今年、この2つの教派が500年ぶりに互いを認め合い、共に支え合い、祈り合う者となることを宣言しました。この和解の出来事は、「95か条の提題」のように、教科書にも掲載されるでしょう。
人は、ひとりでは本当にとても弱く、また儚いものです。簡単に他人の意見に流されてしまいますし、面倒くさい時には考えることをやめてしまいます。しかし、多く集まったら良いかと言えば、そういうわけではありません。人は数が増えると、それぞれの思いを語り始め、思いを一つに集める事が難しくなってきます。これは家庭の中でも同じです。皆、思い描いていることは違います。父は父として、母は母として子どもを見ますし、子どもは子どもの世界の中で、様々な事を考えながら生きています。自分の思い通りにならないのは当然です。
しかし、だからこそ神様は、今月のみ言葉を私たちに与えてくださいました。2人、3人が本当に心を合わせお祈りするところには、神様も一緒にいてくださいます。人間だけでは、すぐに物を取り合ったり、考えの押し付け合いになってしてしまいます。しかし、そこで一緒に手を合わせ祈る時、神様が共にいてくださいます。
今年、私たちは過去の確執を越えて、500年ぶりに仲直りをしました。これからも神様の助けを借りて、歩んでいきましょう。

 

10月『アブラムは、主の言葉に従って旅立った。』(創世記 12章4節)

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「2つの時間」                          園長 浦上 充

朝夕ぐっと涼しくなり、金木犀の香りが秋を運んできてくれました。大人たちはしみじみと「ああ、もう秋なんだな」とつぶやいてしまいますが、子ども達にとっては関係ありません。いよいよ秋本番です。トンボやコオロギなど、遊んでくれる虫たちがいっぱい出てきますし、どんぐり拾い遠足やお楽しみ会など楽しい行事が満載です。
季節の移り変わりを肌で感じると、確かに時が流れていることに気づかされます。幼稚園にも同じように、「時間」が流れています。朝、みんなが登園する時間は決まっていますし、自由遊びの後のお片付けや給食の時間も決まっています。
このように一定に流れていく時のことを、「クロノス(Chronus:ラテン語)」と言います。クロノスでは、同じ時間の中でより多くの事が出来る人や、上手に出来る人が優秀と褒められ、ゆっくりの人、じっくりの人、失敗した人は「がんばろう」と励まされます。
しかし幼稚園には、もう一つの時間が流れています。この時を「カイロス(Caerus:ラテン語)」と言い、その人だけに与えられた特別な時間です。幼稚園では、規則正しい生活や小学校になじんでいく為に、「クロノス」の時間の流れの中で生活する事を学びますが、それだけでは、豊かな人間性や優しい心は育まれません。
「カイロス」の時の流れの中には、多くの出会いがあります。それは、お散歩の途中で見つけた不思議な木だったり、お空に浮かぶ不思議な形の雲だったりします。この時の中では、速さを比べる必要も焦る必要もありません。秋は、その様なその子だけに流れる時を、より強く感じる事の出来る季節です。子ども達と一緒にお散歩に出かけてみたり、幼稚園で今日何があったのかをじっくり聞いてみてください。多くの不思議な出会いや出来事がたくさん詰まっています。
今月の暗証聖句に出てくるアブラムも、神さまの言葉に従って旅に出ました。彼は、紀元前1500年のメソポタミアに住む75歳のおじいさんでした。当時の平均年齢が20代前半と言われていますから、現代の75歳とは異なり、まるで仙人のような存在でした。それでも、彼は神さまの言葉を聞いて、新しい土地へと旅立ちました。それが彼の中で流れていた時(カイロス)だったのです。
カイロスの時の中では、どこからでも遅いという事はありません。今からでも、子どもと一緒にこの季節を楽しんでください。

 

9月『求めなさい。そうすれば、与えられる』(マタイによる福音書 7章7節)

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「神さまの視点ん。私たちの願い」                 園長 浦上 充

運動会やお楽しみ会、そしてクリスマスと楽しいことが満載の2学期が始まりました。今学期も子ども達といっしょに元気いっぱい歩んで行きたいと願っています。
私はこの夏、話題の「バベルの塔」展に行ってきました。ピーテル・ブリューゲルという16世紀オランダの画家の展覧会です。「バベルの塔」は、旧約聖書創世記11章の話をモチーフに描かれています。「大洪水を生き延びたノアの子孫のニムロデが権力を誇ろうと、天にまで届く高い建物を建て始めましたが、神さまの怒りをかい、お互いの言葉が通じないようにして、建設が中止になった」というお話しです。
「バベルの塔」を見ていて、特に興味深かったのは、絵画に描かれている約1,400人の豆粒ほどに描かれた人たちが、それぞれ違う動きをしている点です。みんなが一生懸命働いているわけではありません。中にはサボったり、寝ころがっている人もいますし、おしゃべりに夢中になっている人もいます。そっぽを向いている人や、お尻を出して用を足している人もいます。
「バベルの塔」の聖書の箇所を表面的に読むと、神さまが、思いあがった人間を懲らしめるために、罰を下しただけのお話しのように見えますが、ブリューゲルが伝えたかったのは、それ以上の神さまの思いでした。この絵を読み解く鍵は、この絵が描かれた塔の視点です。この塔の絵は、下からでもなく横からでもない、雲の上、神さまの視点から描かれていました。ブリューゲルは違いを持つ人たちのそれぞれの瞬間を描くことによって、どのような事があったとしても、神さまが、ちゃんと一人ひとりに目を注いで、大切にしてくれていると伝えたかったのだと思います。
9月に与えられた聖書のお言葉。「求めなさい。そうすれば、与えられる。」この言葉は、「お願いすれば、何でも叶えてもらえる」というものではありません。皆でお祈りをして、願いを深めていく中で、自分が本当に求めているものが何であるのかに気づかされます。どれほど大きな塔を建てても、一人一人をちゃんと見ていて、大切にしてくださる神さまです。人を貶めたり、いじわるをしたり、おごり高ぶった願いは聞き届けられません。自分が何を求めているのか、願っているのかをしっかりと考え、お祈りしながら今月も歩んでいきたいと思います。
(「バベルの塔」の複製画を2階の教会に展示しています。どうぞご覧ください。)

7月『天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ』(詩編 96編11節)

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「子ども達と一緒に」                       園長 浦上 充

うだるような暑さとシトシトと雨が降る日を重ねながら、城之橋の子ども達は、お庭に出来る水たまりをつついてみたり、お花やお野菜にお水をあげたりと、季節の移ろいを肌で感じています。
最近、研修会で他県の幼稚園の保育を見学する機会があり、改めて城之橋の良さに気づくことが出来ました。その幼稚園も研修会の会場となる程ですから、とても良い保育をされていましたが、内心、城之橋の方が優れていると思う点がいくつもありました。
研修会と言っても、幼稚園の子ども達にとってはいつもの幼稚園です。他園の先生が見ていようがいまいが、いつもと同じように、おもちゃの取り合いだって起こりますし、お友達にひどい事を言われたと訴えている子もいます。
そこで気が付いたのです。城之橋では、子ども達同士のトラブルがこじれた時に投げかけられる「先生~」という声があまり聞こえないのです。もちろん城之橋でも同じような子ども達がいますから、毎日毎日いろいろな事が起こります。さっきまで一緒に笑い合っていたかと思ったら、トラブルになっている事もあります。しかし、その一つ一つの場面で、子ども達は自分たちで話し合って、「ごめんなさい」をしたり、時には近くにいるお兄ちゃんやお姉ちゃんにお話しして仲裁してもらったりしているのです。これが縦割りの良さだとつくづく思いましたし、城之橋の子たちってすごいなと感じました。その園では、城之橋では当たり前のように起こっているこの様な出来事は、あまり見られないようです。すぐに「先生~」と大人を呼んで解決してもらおうとしていました。もちろん城之橋の教師も、トラブルになる最初から、子ども達の様子を見ながら近くでウズウズ、ハラハラしながら見守ったり、時には近くにいる大きなクラスの子を呼んで「助けてあげて」と助け舟を出したり、教師が入って仲裁することもあります。それら一つ一つの経験が積み重なって、今の城之橋幼稚園があるのだと、他園を見学して改めて気づくことが出来ました。
7月の聖書のお言葉は、私たちだけでなく「天」も「地」も一緒に喜び祝い、喜び踊る様子が記されています。自分だけや自分の仲間だけではありません。この地上に生を受けたもの、そのみんなで、笑顔いっぱいで歩んでいきたいと思います。今月も子ども達の一つ一つの経験の上に、神さまの豊かな祝福がありますように。

6月『これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと』(詩編 118章23節)

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「神さまのご計画」                        園長 浦上 充

色とりどりの草花が咲く、爽やかな新緑の季節となりました。子ども達はお外で元気に走り回っています。この季節、子ども達は園庭や園外保育の中で、様々なものを見つけます。それはきれいなお花だったり、小さなカエルだったり、ポケットいっぱいに“秘密の何か”が詰まっていたりします。その一つ一つの出会いが子ども達の心を育んでいると思うと、小さなカエルや石ころも愛おしく思えてきます。
日常生活の中で、私たちは時として驚くべき瞬間に立ち会う事があります。それは、感動するような素晴らしい事もありますし、また逆に自分にとっては都合の悪い、不幸のどん底に落ちるような事もあります。キリスト教では、その一つ一つの全てが、神さまのご計画の内にあると考えます。つまり、朝「おはよう」と、元気に幼稚園に来る事も、子ども達のお家に弟や妹が生まれる事も、反対に、家族や近しい人が死に至る病にかかり、残された時を懸命に生きる事も、すべて神さまのご計画によるものであると考えるのです。ですから、この事が起こったのは、「○○のせいだ」とも言えませんし、「祟り」とか「因果応報」の考え方もありません。すべては神さまのご計画の内にあるからです。マザーテレサやマーティン・ルーサーキングjr牧師、水平社宣言の西光万吉も、みなキリスト者でした。この考え方があるからこそ、彼らは、最後まであきらめずに力を尽くし、目の前にある世界が全てではなく、神様のご計画の内に、その先にある世界を求めて全力で生き続ける事が出来たのです。
今月の聖書のお言葉は、そのような神さまのご計画に触れた時の驚きが記されています。お洗濯をする時、いつも洗濯機の中で石が回っていたり、ポケットいっぱいに何かが詰まっていることがあります。私たちにとって、それは邪魔なものですし、見つける度に、無意識の内に「はぁ」とため息が漏れてしまいます。しかし、その様な一つ一つにも、神さまの計画の内にあり、子ども達のお心を育む大切な出会いの一つなのです。
とは言うものの、そのまま洗濯機で石を回し続ければ、機械は壊れますし手間も増えます。子ども達と向き合って、いっぱいお話しをしてください。見えるものの奥にある世界を見つめる為には、今、自分の目の前にあるものをしっかりと見つめなければなりません。子ども達と同じように、私たち大人も心の目を開いて、この美しい世界を見つめていきたいと思います。

5月『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。』(コリントの信徒への手紙2 4章18節)

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「目には見えないものの積み重ね」                 園長 浦上 充

 気が付けば満開の桜の枝も葉桜に変わり、緑の溢れる季節となりました。おさんぽに出かけるのに良い季節ですね。春に入園してきたお友だちも次第に幼稚園に慣れ、元気な声が幼稚園に響いています。
今月も私たちが大切にしていきたい聖句が与えられました。私たちは、子ども達と共に幼稚園での生活をする中で、多くの経験をします。それは必ずしも楽しい事ばかりではありません。時には歯を食いしばって頑張らないといけない事もありますし、どうしても思い通りにならなくて悔し涙を流す事もあります。
4月に行われた入園式の時にこのような様子を目にしました。式典が終わり、つばめ組さんの発表に移る時、先生が子ども達に「自分のお椅子をもって、そら組さんに運びましょう」と声をかけました。大きいクラスの子ども達は、さっと動けましたが、ついこの間までそら組(旧ぴんく組)さんだった、たまご組の子ども達にとって、お椅子は少し持ちにくいものでした。何人か手間取っている子も見られました。そんな中、大きいクラスのお兄ちゃんがすぐに駆け寄ってきたので、「あ、助けてあげるのかな」と思いましたが、その子は手を出そうとしません。よく見ていると、「こうやって持てば良いんだよ」と、お椅子の持ち方を教えていました。この光景を見て改めて、これが城之橋の姿だなと感じました。
私たちは、手間取っていたり、壁にぶつかってどうしたらよいか分からなくなっている子がいると、良かれと思って手を出してしまったり、困らないように先に動いてしまったりします。しかし、それでは本当に必要な力は育ちません。壁にぶつかって、どうしたらよいのだろうかと悩んだり、お兄ちゃんやお姉ちゃんから教えてもらったりする中で、城之橋の子たちはどんどん成長し、次の機会には他の子たちに教えられるようになっていきます。
私たちの幼稚園は、今年創立90周年を迎えました。このような、目に見は見えない一つ一つの出来事を積み重ねながら、これからも私たちは子ども達と共に歩んでいきたいと思います。

2017年度『あながたがは神に愛されている子供です』(エフェソの信徒への手紙 5章1節)

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「愛されて育つ」                        園長 浦上 充

ご入園、ご進級、おめでとうございます。
満開の桜が咲き誇り、幼稚園のお庭にもかわいいチューリップが並んでいます。今年度、私たちは21名の新しいお友だちを迎えました。つばめ組24名、ひよこ組19名、たまご組19名、そら組9名、ほし組1名の計72名での新しいスタートです。これからお友達と一緒に、いっぱい新しい事にチャレンジし、新しい発見と“わくわく”を見つけていきましょう。また今年の春、幼稚園は幼保連携型認定こども園に移行し、幼稚園のお名前が「認定こども園 城之橋幼稚園」に変わり、新しいスタートを切りました。新制度での運営にまだ慣れておらず戸惑いもありますが、幼稚園が歩んで来た90年の歴史と伝統を守りつつ、これからも子ども達の成長を第一に考えて城之橋幼稚園を形作っていきたいと願っております。
2017年度の年間聖句には、「あなたがたは神に愛されている子供です」という聖書の御言葉が与えられました。聖書には、「愛」という言葉が本当によく登場します。例えば、キリスト教式の結婚式で必ず読まれる聖書にも、次のように「愛」が語られています。「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。(1コリント13:2-3)」
私たちは、家族や友人、会社の同僚など、その人の事を思って悩み、手を差し伸べ、また時には心の中で応援します。そしてまた、共に成長を喜び、時に絶望します。確かにその一つ一つの行動や考え方は、子育ての本やインターネットで仕入れる事はできますが、そこに「愛」が無ければ意味がないと、『聖書』は古代から語り続けてきました。それは、それだけ多くの失敗をしてきたからです。
子ども達は、私たち大人の一つ一つの言葉と行動をいつもじっと見て、私たちの心が自分に向いているのか、そこに「愛」があるのかを、敏感に感じ取っています。だからこそ、子ども達が頑張って乗り越えなければならない時には、特に心を込めて応援しなければなりません。そして子ども達は、そのような私たちの姿をそのまま受け止めて、お友達に対しても同じように心を向けるようになります。これは、喜びと共に、大きな責任を伴う事でもあります
城之橋幼稚園は、これまでもこの聖書の言葉を大切に守りながら、子ども達に語りかけ、また保育教諭一人ひとりも自分自身を省みながら「心」の教育を大切にしてきました。人の痛みに気付く心、人の優しさに気づく心、人を守る心、その基礎がこの幼稚園で過ごす中で培われます。これから歩む一年間が、多くの発見とやさしさが詰まったものとなりますようお祈りいたします。

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