学校法人 福井城之橋学園/城之橋幼稚園

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今月の園長メッセージ

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10月『アブラムは、主の言葉に従って旅立った。』(創世記 12章4節)

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「2つの時間」                          園長 浦上 充

朝夕ぐっと涼しくなり、金木犀の香りが秋を運んできてくれました。大人たちはしみじみと「ああ、もう秋なんだな」とつぶやいてしまいますが、子ども達にとっては関係ありません。いよいよ秋本番です。トンボやコオロギなど、遊んでくれる虫たちがいっぱい出てきますし、どんぐり拾い遠足やお楽しみ会など楽しい行事が満載です。
季節の移り変わりを肌で感じると、確かに時が流れていることに気づかされます。幼稚園にも同じように、「時間」が流れています。朝、みんなが登園する時間は決まっていますし、自由遊びの後のお片付けや給食の時間も決まっています。
このように一定に流れていく時のことを、「クロノス(Chronus:ラテン語)」と言います。クロノスでは、同じ時間の中でより多くの事が出来る人や、上手に出来る人が優秀と褒められ、ゆっくりの人、じっくりの人、失敗した人は「がんばろう」と励まされます。
しかし幼稚園には、もう一つの時間が流れています。この時を「カイロス(Caerus:ラテン語)」と言い、その人だけに与えられた特別な時間です。幼稚園では、規則正しい生活や小学校になじんでいく為に、「クロノス」の時間の流れの中で生活する事を学びますが、それだけでは、豊かな人間性や優しい心は育まれません。
「カイロス」の時の流れの中には、多くの出会いがあります。それは、お散歩の途中で見つけた不思議な木だったり、お空に浮かぶ不思議な形の雲だったりします。この時の中では、速さを比べる必要も焦る必要もありません。秋は、その様なその子だけに流れる時を、より強く感じる事の出来る季節です。子ども達と一緒にお散歩に出かけてみたり、幼稚園で今日何があったのかをじっくり聞いてみてください。多くの不思議な出会いや出来事がたくさん詰まっています。
今月の暗証聖句に出てくるアブラムも、神さまの言葉に従って旅に出ました。彼は、紀元前1500年のメソポタミアに住む75歳のおじいさんでした。当時の平均年齢が20代前半と言われていますから、現代の75歳とは異なり、まるで仙人のような存在でした。それでも、彼は神さまの言葉を聞いて、新しい土地へと旅立ちました。それが彼の中で流れていた時(カイロス)だったのです。
カイロスの時の中では、どこからでも遅いという事はありません。今からでも、子どもと一緒にこの季節を楽しんでください。

 

9月『求めなさい。そうすれば、与えられる』(マタイによる福音書 7章7節)

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「神さまの視点ん。私たちの願い」                 園長 浦上 充

運動会やお楽しみ会、そしてクリスマスと楽しいことが満載の2学期が始まりました。今学期も子ども達といっしょに元気いっぱい歩んで行きたいと願っています。
私はこの夏、話題の「バベルの塔」展に行ってきました。ピーテル・ブリューゲルという16世紀オランダの画家の展覧会です。「バベルの塔」は、旧約聖書創世記11章の話をモチーフに描かれています。「大洪水を生き延びたノアの子孫のニムロデが権力を誇ろうと、天にまで届く高い建物を建て始めましたが、神さまの怒りをかい、お互いの言葉が通じないようにして、建設が中止になった」というお話しです。
「バベルの塔」を見ていて、特に興味深かったのは、絵画に描かれている約1,400人の豆粒ほどに描かれた人たちが、それぞれ違う動きをしている点です。みんなが一生懸命働いているわけではありません。中にはサボったり、寝ころがっている人もいますし、おしゃべりに夢中になっている人もいます。そっぽを向いている人や、お尻を出して用を足している人もいます。
「バベルの塔」の聖書の箇所を表面的に読むと、神さまが、思いあがった人間を懲らしめるために、罰を下しただけのお話しのように見えますが、ブリューゲルが伝えたかったのは、それ以上の神さまの思いでした。この絵を読み解く鍵は、この絵が描かれた塔の視点です。この塔の絵は、下からでもなく横からでもない、雲の上、神さまの視点から描かれていました。ブリューゲルは違いを持つ人たちのそれぞれの瞬間を描くことによって、どのような事があったとしても、神さまが、ちゃんと一人ひとりに目を注いで、大切にしてくれていると伝えたかったのだと思います。
9月に与えられた聖書のお言葉。「求めなさい。そうすれば、与えられる。」この言葉は、「お願いすれば、何でも叶えてもらえる」というものではありません。皆でお祈りをして、願いを深めていく中で、自分が本当に求めているものが何であるのかに気づかされます。どれほど大きな塔を建てても、一人一人をちゃんと見ていて、大切にしてくださる神さまです。人を貶めたり、いじわるをしたり、おごり高ぶった願いは聞き届けられません。自分が何を求めているのか、願っているのかをしっかりと考え、お祈りしながら今月も歩んでいきたいと思います。
(「バベルの塔」の複製画を2階の教会に展示しています。どうぞご覧ください。)

7月『天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ』(詩編 96編11節)

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「子ども達と一緒に」                       園長 浦上 充

うだるような暑さとシトシトと雨が降る日を重ねながら、城之橋の子ども達は、お庭に出来る水たまりをつついてみたり、お花やお野菜にお水をあげたりと、季節の移ろいを肌で感じています。
最近、研修会で他県の幼稚園の保育を見学する機会があり、改めて城之橋の良さに気づくことが出来ました。その幼稚園も研修会の会場となる程ですから、とても良い保育をされていましたが、内心、城之橋の方が優れていると思う点がいくつもありました。
研修会と言っても、幼稚園の子ども達にとってはいつもの幼稚園です。他園の先生が見ていようがいまいが、いつもと同じように、おもちゃの取り合いだって起こりますし、お友達にひどい事を言われたと訴えている子もいます。
そこで気が付いたのです。城之橋では、子ども達同士のトラブルがこじれた時に投げかけられる「先生~」という声があまり聞こえないのです。もちろん城之橋でも同じような子ども達がいますから、毎日毎日いろいろな事が起こります。さっきまで一緒に笑い合っていたかと思ったら、トラブルになっている事もあります。しかし、その一つ一つの場面で、子ども達は自分たちで話し合って、「ごめんなさい」をしたり、時には近くにいるお兄ちゃんやお姉ちゃんにお話しして仲裁してもらったりしているのです。これが縦割りの良さだとつくづく思いましたし、城之橋の子たちってすごいなと感じました。その園では、城之橋では当たり前のように起こっているこの様な出来事は、あまり見られないようです。すぐに「先生~」と大人を呼んで解決してもらおうとしていました。もちろん城之橋の教師も、トラブルになる最初から、子ども達の様子を見ながら近くでウズウズ、ハラハラしながら見守ったり、時には近くにいる大きなクラスの子を呼んで「助けてあげて」と助け舟を出したり、教師が入って仲裁することもあります。それら一つ一つの経験が積み重なって、今の城之橋幼稚園があるのだと、他園を見学して改めて気づくことが出来ました。
7月の聖書のお言葉は、私たちだけでなく「天」も「地」も一緒に喜び祝い、喜び踊る様子が記されています。自分だけや自分の仲間だけではありません。この地上に生を受けたもの、そのみんなで、笑顔いっぱいで歩んでいきたいと思います。今月も子ども達の一つ一つの経験の上に、神さまの豊かな祝福がありますように。

6月『これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと』(詩編 118章23節)

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「神さまのご計画」                        園長 浦上 充

色とりどりの草花が咲く、爽やかな新緑の季節となりました。子ども達はお外で元気に走り回っています。この季節、子ども達は園庭や園外保育の中で、様々なものを見つけます。それはきれいなお花だったり、小さなカエルだったり、ポケットいっぱいに“秘密の何か”が詰まっていたりします。その一つ一つの出会いが子ども達の心を育んでいると思うと、小さなカエルや石ころも愛おしく思えてきます。
日常生活の中で、私たちは時として驚くべき瞬間に立ち会う事があります。それは、感動するような素晴らしい事もありますし、また逆に自分にとっては都合の悪い、不幸のどん底に落ちるような事もあります。キリスト教では、その一つ一つの全てが、神さまのご計画の内にあると考えます。つまり、朝「おはよう」と、元気に幼稚園に来る事も、子ども達のお家に弟や妹が生まれる事も、反対に、家族や近しい人が死に至る病にかかり、残された時を懸命に生きる事も、すべて神さまのご計画によるものであると考えるのです。ですから、この事が起こったのは、「○○のせいだ」とも言えませんし、「祟り」とか「因果応報」の考え方もありません。すべては神さまのご計画の内にあるからです。マザーテレサやマーティン・ルーサーキングjr牧師、水平社宣言の西光万吉も、みなキリスト者でした。この考え方があるからこそ、彼らは、最後まであきらめずに力を尽くし、目の前にある世界が全てではなく、神様のご計画の内に、その先にある世界を求めて全力で生き続ける事が出来たのです。
今月の聖書のお言葉は、そのような神さまのご計画に触れた時の驚きが記されています。お洗濯をする時、いつも洗濯機の中で石が回っていたり、ポケットいっぱいに何かが詰まっていることがあります。私たちにとって、それは邪魔なものですし、見つける度に、無意識の内に「はぁ」とため息が漏れてしまいます。しかし、その様な一つ一つにも、神さまの計画の内にあり、子ども達のお心を育む大切な出会いの一つなのです。
とは言うものの、そのまま洗濯機で石を回し続ければ、機械は壊れますし手間も増えます。子ども達と向き合って、いっぱいお話しをしてください。見えるものの奥にある世界を見つめる為には、今、自分の目の前にあるものをしっかりと見つめなければなりません。子ども達と同じように、私たち大人も心の目を開いて、この美しい世界を見つめていきたいと思います。

5月『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。』(コリントの信徒への手紙2 4章18節)

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「目には見えないものの積み重ね」                 園長 浦上 充

 気が付けば満開の桜の枝も葉桜に変わり、緑の溢れる季節となりました。おさんぽに出かけるのに良い季節ですね。春に入園してきたお友だちも次第に幼稚園に慣れ、元気な声が幼稚園に響いています。
今月も私たちが大切にしていきたい聖句が与えられました。私たちは、子ども達と共に幼稚園での生活をする中で、多くの経験をします。それは必ずしも楽しい事ばかりではありません。時には歯を食いしばって頑張らないといけない事もありますし、どうしても思い通りにならなくて悔し涙を流す事もあります。
4月に行われた入園式の時にこのような様子を目にしました。式典が終わり、つばめ組さんの発表に移る時、先生が子ども達に「自分のお椅子をもって、そら組さんに運びましょう」と声をかけました。大きいクラスの子ども達は、さっと動けましたが、ついこの間までそら組(旧ぴんく組)さんだった、たまご組の子ども達にとって、お椅子は少し持ちにくいものでした。何人か手間取っている子も見られました。そんな中、大きいクラスのお兄ちゃんがすぐに駆け寄ってきたので、「あ、助けてあげるのかな」と思いましたが、その子は手を出そうとしません。よく見ていると、「こうやって持てば良いんだよ」と、お椅子の持ち方を教えていました。この光景を見て改めて、これが城之橋の姿だなと感じました。
私たちは、手間取っていたり、壁にぶつかってどうしたらよいか分からなくなっている子がいると、良かれと思って手を出してしまったり、困らないように先に動いてしまったりします。しかし、それでは本当に必要な力は育ちません。壁にぶつかって、どうしたらよいのだろうかと悩んだり、お兄ちゃんやお姉ちゃんから教えてもらったりする中で、城之橋の子たちはどんどん成長し、次の機会には他の子たちに教えられるようになっていきます。
私たちの幼稚園は、今年創立90周年を迎えました。このような、目に見は見えない一つ一つの出来事を積み重ねながら、これからも私たちは子ども達と共に歩んでいきたいと思います。

2017年度『あながたがは神に愛されている子供です』(エフェソの信徒への手紙 5章1節)

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「愛されて育つ」                        園長 浦上 充

ご入園、ご進級、おめでとうございます。
満開の桜が咲き誇り、幼稚園のお庭にもかわいいチューリップが並んでいます。今年度、私たちは21名の新しいお友だちを迎えました。つばめ組24名、ひよこ組19名、たまご組19名、そら組9名、ほし組1名の計72名での新しいスタートです。これからお友達と一緒に、いっぱい新しい事にチャレンジし、新しい発見と“わくわく”を見つけていきましょう。また今年の春、幼稚園は幼保連携型認定こども園に移行し、幼稚園のお名前が「認定こども園 城之橋幼稚園」に変わり、新しいスタートを切りました。新制度での運営にまだ慣れておらず戸惑いもありますが、幼稚園が歩んで来た90年の歴史と伝統を守りつつ、これからも子ども達の成長を第一に考えて城之橋幼稚園を形作っていきたいと願っております。
2017年度の年間聖句には、「あなたがたは神に愛されている子供です」という聖書の御言葉が与えられました。聖書には、「愛」という言葉が本当によく登場します。例えば、キリスト教式の結婚式で必ず読まれる聖書にも、次のように「愛」が語られています。「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。(1コリント13:2-3)」
私たちは、家族や友人、会社の同僚など、その人の事を思って悩み、手を差し伸べ、また時には心の中で応援します。そしてまた、共に成長を喜び、時に絶望します。確かにその一つ一つの行動や考え方は、子育ての本やインターネットで仕入れる事はできますが、そこに「愛」が無ければ意味がないと、『聖書』は古代から語り続けてきました。それは、それだけ多くの失敗をしてきたからです。
子ども達は、私たち大人の一つ一つの言葉と行動をいつもじっと見て、私たちの心が自分に向いているのか、そこに「愛」があるのかを、敏感に感じ取っています。だからこそ、子ども達が頑張って乗り越えなければならない時には、特に心を込めて応援しなければなりません。そして子ども達は、そのような私たちの姿をそのまま受け止めて、お友達に対しても同じように心を向けるようになります。これは、喜びと共に、大きな責任を伴う事でもあります
城之橋幼稚園は、これまでもこの聖書の言葉を大切に守りながら、子ども達に語りかけ、また保育教諭一人ひとりも自分自身を省みながら「心」の教育を大切にしてきました。人の痛みに気付く心、人の優しさに気づく心、人を守る心、その基礎がこの幼稚園で過ごす中で培われます。これから歩む一年間が、多くの発見とやさしさが詰まったものとなりますようお祈りいたします。

3月『主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。』(詩編 27編1節)

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「神さまの光にあふれた道」                    園長 浦上 充

 3月は幼稚園にとって、とても大切な時です。幼稚園の各クラスでは、1年の締めくくりの時が与えられ、つばめ組さんにとっては、幼稚園生活を締めくくる卒園式の準備が進められています。今年の卒園式も、卒園する子ども達と保護者の方が一緒に歌う曲が準備されています。今、幼稚園では、このかけがえのない時を大切に過ごしています。

 子ども達は、城之橋幼稚園で多くの事を経験し、ひとつ一つ自分のものにしてきました。それは、もしかしたら保護者の皆さんも同じかもしれません。子ども達が成長していく様子に、時に悩み、一緒に笑ってきました。あっという間の幼稚園生活でした。この一年一年が積み重なって、やがて子ども達は私たちの手を離れ、一人で生きていく時が来ます。きっとそんな中でも、この幼稚園で過ごした時間、お父さんやお母さんと幼稚園に通った時間は、とても大切な思い出として子ども達の将来を明るく照らすでしょう。

 今月私たちに与えられた聖書の言葉は、そんな新しい世界へと私たちを優しく押し出してくれる言葉です。「主は私の光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう」。これから歩む先には、大きな喜びと共に、困難もあるかもしれません。しかし、その歩みは、ちゃんと神さまの光に照らされた道なのです。これから幼稚園を巣立っていく子ども達の上に、そして春には新しいバッチを胸に付けて、お兄ちゃん、お姉ちゃんになって新入園児の小さなお友達を迎える子ども達の上に、神さまの豊かな祝福と恵みがありますよう、お祈りいたします。

2月『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。』(コリントの信徒への手紙2 4章18節)

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「見える世界と、見えない世界」                 園長 浦上 充

 ついこの間、年が明けたと思ったら、あっという間にもう2月です。幼稚園では、子ども達が、頭の先から足の裏まで絵具まみれになって、作品展の準備を進めています。今年もダイナミックで、夢のいっぱい詰まった作品が準備されています。完成するのが楽しみです。
毎年感じていることですが、子ども達が形作った物や描いた絵を見て、本当にすごいと感心させられます。確かに、その一つ一つの作品は、セロテープやノリがちゃんとくっついてなくて、すぐにポロっと取れてしまったり、絵を描いているうちに楽しくなって枠から飛び出してしまったりしますが、その小さな身体の中に秘めたイメージをフルに使って、表現しようとする力は、とても大きなものです。
今月与えられた聖書の言葉は、城之橋幼稚園がいつも大切にしている言葉の一つです。私たちはいつも、目に見えるものではなく、目に見えないものを大切にしながら保育をしています。それは、お友達を大切にする真心や愛、お友達と一緒に一つのものを作り上げる熱い思いであったりします。城之橋幼稚園の作品展を見ていつも感動することは、子ども達が、私たち城之橋幼稚園が長い間大切に受け継いできた「目に見えないもの」を大切にするという思いを受け継いで、一つの作品に仕上げていく様子です。子ども達は、鳥であれば鳥を、動物であれば動物を作っていきます。しかし、子ども達の作る鳥や動物には、目には見えない物語があり、性格があり、人生があります。子ども達は、「モノ」の表面的な形を作っているのではなく、イメージしながらその「モノ」の目には見えない世界を形作っているのです。
イエス様は、いつも目に見える物の奥にある、目には見えない私たちの姿に目を止められていました。その姿に倣って、私たち城之橋幼稚園も、子ども達と共に目には見えない思いを大切にしていきたいと思います。

1月『光の子として歩みなさい』(エフェソの信徒への手紙 5章8節)

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「大それた目標 内に秘めた願い」                 園長 浦上 充

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。新しい年が皆さまのご家庭の上に恵み豊かな年となりますよう教職員一同お祈り申し上げます。
今年は、雪かきをしなくても良い暖かいお正月を迎えられましたね。皆さんは、どのような冬休みを過ごされましたか?
3学期は、つばめ組さんにとって、幼稚園で過ごす最後の時となります。また、ひよこ組さん、たまご組さん、ぴんく組さんにとっても、つばめ組のおにいちゃんやおねえちゃんたちと一緒に作り上げる作品展に向けて、わくわくとドキドキがいっぱい詰まった学期となります。
「一年の計は元旦にあり」とあるように、皆さんのご家庭では、それぞれの1年の計画をお話をされましたか?
私が小さかった頃、毎年お正月に自分の目標を書初めして、家の玄関に掲げていました。幼稚園の頃はそれがとても嬉しかったのですが、小学校に上がり成長するにしたがい恥ずかしさが募り、あまり大それた目標を掲げなくなった記憶があります。
そのような私たちに、今年最初に素晴らしい聖書の言葉をいただきました。「光の子として歩みなさい」。幼かった頃の私がそうであったように、人は年を追うごとに知恵が増し、自分の限界を知り、必要以上の努力をしなくなります。日々の生活の中でそんな自分に気が付いた時、私は父が毎年書いていた目標を思い出します。「世界が愛で充たされますように」。これは、一人の人間では背負いきれないほどの大それた目標です。しかし、私の父はそれを本当に真剣に祈り、書いていました。私たちは、いつも慈愛に満ち溢れ、誠実で嘘をつかない「光の子」として歩む事が出来るような人ではありません。しかしそれでも、そのように生きたいと願う時、私たちが歩む1年は、それまでの1年とは大きく異なることでしょう。 2017年が、皆様の上に祝福された年となりますように。光の子として、今年も歩んで行きたいと願います。

12月『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』(ルカによる福音書 1章28節)

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「神さまの愛」                          園長 浦上 充

今年も、子ども達が大好きなクリスマスがやってきます。幼稚園には、毎日、聖誕劇(ページェント)やトーンチャイム、合奏の声が元気に響いています。クリスマス会もどうぞご期待ください! クリスマスの喜びと共に、この12月は2016年の最後の月でもあります。今、しみじみと12月の聖書のお言葉を読み返しています。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」聖誕劇(ページェント)で天使がマリアさまにイエスさまの存在を告げた受胎告知の言葉です。
今年も1年間、小さな子ども達が犠牲となった戦争やテロ、事故や幼児虐待など、ショッキングなニュースが連日のように報道されてきました。あまりにも多すぎて「あぁ、またか。」と、その事実も含めた「日常」を何気なく過ごしてきた自分に愕然としながら2016年の最後の月を迎えています。他人の命を軽く見ているのでしょうか。そしてその分、自分の命も軽いものだと思っているのでしょうか。クリスマスを目前に控えて、もう一度、自分に与えられている「いのち」と向き合いたいと思います。
神さまは、この世のすべての人々を、どこまでも本当に純粋に愛されました。それは、おじいちゃんやおばあちゃんから生まれたばかりの赤ちゃんまで。戦場で今まさに殺されようとされている人から銃を握っている人まで。刑務所にいる人も幼稚園で元気に遊んでいる子も、すべての人を愛されました。それが小さなイエスさまの誕生を通して、私たちに与えられ「愛のしるし」でした。
「愛する」為には愛されていることの発見がなければ愛せません。「赦されている」ことを知らなければ、人を赦すことはできません。私たちは、神さまと同じように、人を愛していますでしょうか? 人を赦していますでしょうか? クリスマスは奇跡が起こる時とされています。自分の力だけでは出来ないことが、神さまの助けを借りて、この日には出来るからです。イエスさまがお生まれになってから2016回目のクリスマスの日。この恵みの時を共に待ち望みましょう。

11月『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい』(ローマの信徒への手紙 12章15節)

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「共に歩む」                           園長 浦上 充

どんぐり拾い遠足やいもほり遠足。子ども達の毎日は、秋の楽しい思い出でいっぱいです。大人の私たちは「そろそろ車の冬タイヤを準備しないと…」と、迫って来る冬の到来に備え、なんとなく忙しない毎日をおくる日々ですね。
『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい』。今月の聖書の言葉は、私たちが忘れてしまった子どもの頃の思い出を思い起こさせてくれる言葉です。私たちのイメージの中にある「キリスト教」とはどのようなものでしょうか? 人によっては、「聖歌隊」や「結婚式」という教会を中心とするイメージであったり、「献血」や「国境なき医師団」という慈善団体のイメージであったりします。そのイメージの元となっているのが、この箇所です。イエスさまがそうであったように、古代からキリスト者は、病人や孤児、老人を最後まで見捨てませんでした。もう治らない事が分かっていたとしても、最後まで奇跡を信じて、共に涙を流しながら道を歩んだのです。地図の病院記号が「十字架」になっているのはこの為です。
日々私たちは、時間や仕事に追われるように毎日を過ごしています。気候も落ち着き、本を読んだり、スポーツをしたりと、本来なら、忙しい中にあってもゆったりと季節を「堪能する時」であったのに、最近ではその「時に追われて」、豊かな実りの季節を見失ってはいませんでしょうか。そんな私たちを立ち返らせてくれるのは、小さな子ども達です。
私たちは、子ども達と共に過ごす生活の中で、様々な事を発見します。落ち葉が、風に吹かれてカサカサ音をたてていたり、どんぐりは、意外と転がりやすかったり、春の雨と秋の雨のにおいが違っていたり。昔は、私たちも知っていたことです。子ども達とあそびの中で、新しいものに出合う感動を共有しながら、共に喜び、共に泣きながら、子ども達の豊かな成長を支え、導いていきたいと願います。今月も、子ども達の歩みが祝福されますように。

10月『あなたがたは地の塩である』(マタイによる福音書 5章13節)

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「地の塩として歩む」
園長 浦上 充

運動会が終わり、いよいよ秋本番です。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。幼稚園では、どんぐり遠足やお楽しみ会など、たくさんの楽しい行事を準備しています。
今月の暗唱聖句になっている聖書のみ言葉は、よく幼稚園の卒園式やキリスト教主義の学校の卒業式に読まれる箇所です。私たちの身の回りには、本当に多くの「塩」が使われていますが、普段、あまり意識する事はありません。「塩」は、料理に味を付けたり、食べ物を長期間保存するためには無くてはならないものです。しかし、それだけ大きな働きをしているにも関わらず、決して強調せず、料理の中にその身を溶かして、持ち味を生かします。イエスさまが、私たちに求められたのもそのような姿でした。
近年、助けてほしい時や弱っている時に、「助けてください」と言うことが難しい時代になったと感じています。「自己責任」という言葉が、当り前のように使われます。悪い状況や結果を招いたのは自分の責任なのだから、それを誰かに助けてもらおうとするのは間違っているという考え方です。あくまで自分で解決しなさい、自分の責任で決着をつけなさいというのです。その影響を一番強く受けるのは、社会的に弱い立場で生きている人です。子ども達や、そのご家族もそこに含まれるでしょう。子どもと一緒に生活していたら、不安な事や心配な事がいっぱい出てきて当然です。
城之橋幼稚園は、この世の「塩」として、神さまからこの場所に立たされました。子ども達やご家族の一人一人が、しっかりと味を出して生きて行くためです。弱さをいっぱい持っている私たちですが、神さまはそんな私たちを用いて子どもたちの命と向き合わせてくださいます。今日も神さまの愛とお導きの中で、子ども達と歩むことができますように。

9月『平和な人には未来がある』(詩編 37編37節)

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「平和を追い求める人が未来を拓く」
園長 浦上 充

あれほど騒がしかったセミの声も少なくなり、近頃は虫の音が聞こえるようになってきました。幼稚園にはまっくろに日焼けした子ども達が帰ってきました。待ちに待った2学期の始まりです。運動会やお楽しみ会、クリスマス、楽しい事がいっぱいの2学期です。今学期も子ども達と共にかけがえのない時を歩んで行きたいと願っています。
この夏は、オリンピックがあり毎日わくわくドキドキ本当に楽しい事がいっぱいありました。体操や柔道ももちろんですが、男子陸上の400mリレー銀メダルには本当に感動しました。一人ひとりの力は小さいけれど、それがしっかりと合わさったことによるこの大きな成果は、メンバーひとりひとりのこれまでの努力が現れた瞬間でした。
私たちは、子ども達の将来を思い、「この子にとって、今、何が大事なんだろうか」と思いをよせ、心を砕き、また手助けをし、時には少し遠くから応援しながら日々を過ごしています。子ども達はそんな私たちの期待や不安をものともせずに、のびのびと大きく成長し、時にはこちらが驚くような姿を見せてくれたりします。もちろん成果は大切です。しかしそれ以上に、そこに至るまでの頑張りを大事にしないといけないなと、改めて感じています。
この夏は、その様な嬉しい報道があったのと同様に、障がい者施設での殺傷事件や中高生たちの暴力事件など、多くの痛ましい事件や事故がありました。被害に遭われた方も、加害者となった方も、皆、同じように幼稚園に通う小さな子どもの頃があったのです。今月、私たちには「平和な人には未来がある」という聖句が与えられました。日本語に翻訳されてしまうと分りづらいのですが、ここで語られている「平和」は、形容詞ではなく動詞です。平和を追い求めている人、平和を願う人、その人が歩む先には、未来が拓けるというのです。私たちも、この子ども達の未来が拓けるように、お祈りしながら、心を砕きながら、歩みたいと願います。

 

7月『探しなさい。そうすれば、見つかる。』(マタイによる福音書 7章7節)

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「心をはぐくむ歌声」                     園長 浦上 充

あじさいが美しい花を咲かせる頃となりました。まだ梅雨が続いていますが気持ちの良い晴れ間を縫って、城之橋の子ども達は、どろんこあそびをしたりお花のお世話をしたりと、季節の移ろいを肌で感じています。
皆さんのご家庭にもお便りが届いたと思いますが、今年も秋に開催されるPTA大会の準備が始まりました。私も実行委員として式典の部のダンスと合唱の指導に入っておりますので、今年も多くの保護者の方々とお話しをしながら歌ったり、踊ったり出来るのを楽しみにしています。
城之橋幼稚園と他の幼稚園の違いは多くありますが、中でもその違いが如実に現れるのは園で歌う曲の数です。以前、他園の園長先生に聞いてみた所、城之橋の子ども達は他園と比べて2倍~3倍の数の歌を歌っていることが分かりました。これはもちろん、毎日クラスで行われる「お礼拝」で讃美歌を歌うという事もあると思います。この気付きは、改めて人の声、特に歌声によって養われる心が、この城之橋の空気を作っているのだなと感じました。私も子どもの頃、親から多くの歌を歌ってもらった経験があります。寝る前にお布団の中で子守歌を歌いながら寝た経験は、かけがえのない、人生の宝です。
 しかし、思い返してみると、普段の生活の中で、私たちはどれほど歌っているでしょうか? ひと昔前には、童謡や子守歌、流行歌などをみんな口ずさんで、料理をしながらでも、お風呂の中でもよく歌っていました。しかし近年、日常生活の中で、私たちが小さいころには溢れていた歌が、失われているような気がします。もちろん全く歌わなくなったわけではありません。カラオケに行けば、隠されていた見事な歌声を披露してくれます。日常生活の中で流れていた歌声が減ったことが、私たちの子どもの世代にどのような形で表れているのかは分かりませんが、少なくとも私自身は、母親が何気なく口ずさんでいた鼻歌や歌声を聞いて育ち、それが自分の心の平安につながっていると感じています。
子ども達と私たちの生活が、豊かに祝され、恵みがあふれるものとなりますように、お祈り致します。

 

 

6月『探しなさい。そうすれば、見つかる。』(マタイによる福音書 7章7節)

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「見つかることを信じて」                     園長 浦上 充

色とりどりの草花が咲き、爽やかな新緑の季節となりました。梅雨に入るまでの束の間、子ども達は全力で外遊びを満喫しています。私たち大人にとっては、すぐ近くの公園でも、お友達と手をつないで歩いて行くお外は、多くのわくわくやドキドキの詰まっている小さな冒険です。子ども達は、少しずつ経験を積み重ねながら、すくすくと成長しています。
「探しなさい。そうすれば、見つかる。」今月与えられた聖書のみ言葉は、そんな子ども達にぴったりの言葉です。子ども達は、毎日いろいろなものを探しています。それは、小さな虫だったり、サラサラな砂だったり、私たちが気にも留めない所から自分だけの宝物を見つけ出してきます。時には大事にし過ぎて洗濯機の中でガラガラと音を立てて、怒られる事もありますが、そんな事は気にしていません。子ども達にとって、その一日一日が、かけがえの無い宝物なのです。
 先日、園庭で遊んでいる子どもに呼び止められて、「園長先生にだけ特別だよ」と言って、そ~っと宝物をくれました。小さな両手の中に大事に大事に包まれていたのは、きれいなまんまるい石でした。幼稚園がこれまでの場所から移転し、園庭の土も新しくなりました。通いなれた前の幼稚園だったら、どこにどんな石があって、サラ粉がどこにあって、ダンゴムシがいる場所だって、みんな良く知っていました。しかし、全てが新しくなって、新しい冒険が始まりました。どこにダンゴムシがいるのかな。どこにサラ粉があるのかな。そうやって、子ども達は遊びを通して宝物を見つけていきます。その子からもらった石は、新しい園舎で初めてもらった、大切な私の宝物になりました。 私たちの人生は、すべて「求める」事から始まります。一見、不可能とも思えることも、祈り求める中で道が開かれます。子ども達がこれから歩む世界が、平和で恵みに満ちたものとなりますよう共に求め、その道を探していきましょう。

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