学校法人 福井城之橋学園/城之橋幼稚園

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今月の園長メッセージ

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7月の聖書の言葉「今日を喜び祝い、喜び踊ろう。」(詩編 118:24)

「喜びの時に」        栗原 武士
夏を感じさせる日が増えて来ました。園庭にある野菜も元気に育ち、鮮やかな色をつけています。子どもたちは、熱中症に気をつけながら、毎日元気に過ごしています。通常保育が再開して1ヶ月になりました。新しい生活様式を取り入れ、例年と違う流れの中で保育を行っています。子どもたちは、友達と一緒に過ごす毎日を楽しみ、幼稚園は笑顔で溢れています。新型コロナウイルスに対する警戒は続いていますが、登園自粛の期間を乗り越えて、共に歩める喜びを感じています。今月の暗唱聖句である「今日を喜び祝い、喜び躍ろう。」という御言葉は、ちょうど今の私たちにぴったりな言葉です。
この聖書の箇所の前には、「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。」と書かれています。これは家を建てようとして土地を整える際に出てきた石が、建築に必要のないものとして捨てられてしまうのですが、建物を建てる人によって基礎の中で最も重要な隅(角)に置く親石として、その捨てられた石を用いたというお話です。つまり、自分が周りから必要とされず、捨てられ、孤独を感じる様な事があったとしても、全てを創造される神様が、親石という大切な働き人として用いて下さるのです。これが、神様の「御業」なのです。私たちの思いや考えを超えて、神様は私たちに働きかけ、導いて下さるのです。上手くいかないことがあっても、神様が支えて下さり、それぞれに輝ける場所や機会が与えられるのです。
そう言っても、なかなか実感できないかもしれません。しかし、今日の1日を、変わらずに迎えられていることや、子どもたちが日々成長している姿を見ると、感謝と喜びがの思いが溢れてきます。昨日できなかった事が、今日できるという喜びを、子どもたちは体験しています。出来るようになったことは、日々繰り返す中で、更なる自信に繋がります。この事は、子どもだけではありません。私たち大人でも同じです。何気ない毎日も改めて振り返って考えてみると、恵みに満ちています。特に、自粛を過ごした日々や、なかなか思う様に事が進まない中でも、私たちは生かされ、経験を重ねて成長しているのです。人が思う理想や予想ばかりが、全てではありません。それを超えて神様が働かれるのです。私たちはその事を信じ、子どもたちと一緒に歩み、お互いに育っていく姿を見つめ合いながら「喜び祝い」たいと思います。今月もどうかよろしくお願いいたします。

6月の聖書の言葉「あなたがたはそれぞれ。 賜物を授かっているのです。」(ペトロの手紙Ⅰ 4章10節より)

「賜物を受けて」 栗原 武士
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受けて行った登園自粛も、5月25日に解除することが出来ました。ようやく本格的に新しい年度の歩みが始まります。これまでの幼稚園の対応について、ご理解とご協力を頂きましたことを感謝いたします。ありがとうございました。今後は、更なる流行の波が訪れる可能性もありますので、新しい生活様式に基づいて保育を行うことになります。その為、今までの行ってきた保育内容となかなか同じようには行えませんが、城之橋幼稚園らしく、子どもたちの今の姿に寄り添い、心を育む保育を行えるように努めてまいります。どんなに社会の状況が変化しても、お互いに思い合い、支え合い、仕え合って歩むことの大切さは変わりありません。イエス様が教えて下さった「互いに愛し合いなさい」という言葉を胸に、大人も子どもも、今できる精一杯の関わり合いを通して、共に育まれる一年として歩みたいと思います。
しかし、現実としては、既に6月になり、例年行ってきた行事の中で、行えなかった行事もあります。この先のスケジュールを見直していても、日程の変更や中止。行ったとしても内容の変更が伴うものも多くあります。その様な状況を考えると、「出来ない」ことばかりを、指折り数えてしまい、悲観的に考えてしまいそうです。そんな私たちに、今月の聖書の言葉が与えられます。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです」とローマ領内にある諸教会に向けて書かれた手紙の一節です。この手紙が書かれた時代は、キリスト教の教会に対して迫害が起きていました。厳しい迫害が、いつまで続くのか分からない状況にありました。その中で悲観的になる人々に対して、「私たちには神様から賜物を与えられているのです」と力強く語り掛けています。賜物とは、神様から頂いた「良いもの」を意味していて、私たちにとって必要な「力」や「出来事」など、恵みを意味しています。つまり、私たちには最悪のような状況にあったとしても、その状況下の中で最高のことが出来る「力」や「機会」、「発想」が与えられているのです。今までにない新しい発見や気付きも与えられるでしょう。その積み重ねによって、私たちは大きく成長するのです。今までも社会の中で危機的状況を経験し、私たちは多くのことを学び、そうした経験が糧となり、今を生きる力になっています。そう感じられなくても、神様はその時々に必要な賜物を与えて下さるのです。そのことを信じ、前に足を進めていきたいと思います。

5月の聖書の言葉「あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。」(イザヤ書43:1より)

「名前で呼び合うということ」 栗原 武士
5月になりました。新型コロナウイルス感染症の拡大によって、昨年度末より、県や市の要請を受け、自主保育をお願いさせて頂いています。新年度は、進級式、入園セレモニーのみを行い、引き続き自主保育が続いています。皆様のご協力によって、保育の縮小を維持する事ができています。ありがとうございます。一方で、自宅での保育の期間が長くなりました。お家で家族と過ごす時間が増えたことによって、得られる恵みもあれば、今までの日常の生活が変化したことによって、様々な課題も出てきています。この春らしい気候の中でも、先行きの不透明さが不安な気持ちを生み出しています。
そんな不安な状況は、現代社会だけではありませんでした。今月の暗唱聖句は、60年に渡り、捕虜としての生活を余儀なくされて、先の見えない不安の中にあったユダヤの民に、ある預言者が語りかけた言葉です。最初は苦しい時間も長くは続かないと楽観的に構えていた人々も、大変な時間が長くなるにつれ、希望を失っていきました。自分たちが自分たちらしく生きることも叶わず、救いを渇望します。しかし、状況は変わらず、救われた実感もありません。そうなると神様からも見放されたと感じ、この苦しみは誰にも理解されないと感じてしまい、諦めてしまう空気に支配され、希望を見出すこともできなくなっていたのです。
そこで今日の「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」という言葉がかけられるのです。「あなたはわたしのもの」、神様から見放された様に感じる厳しい状況にあっても、神様は変わらずに一人ひとりを愛し、大切にして下さるのです。それを端的に示すのが「わたしはあなたの名を呼ぶ」ということです。名前を呼び合う関係というのは、親しい関係です。「あなたのことを私は覚えていますよ」という宣言です。覚えてもらえているという事は、どんなに心強い事でしょうか。私たちは恐れや不安を思う時に、孤独を感じます。そんな時に、神様は、私たち一人ひとりの名前を呼ばれ、私たちのことを覚えて下さり、愛して下さり、必要な力を、恵みを与えてくださっているのです。
どんなに大変なことも、必ず終わりの時を迎え、私たちを導き出し、前に進ませて下さるのです。だから、お互いに覚え合い、名前を呼び合う先に、神様の導きがあり、愛に溢れ、お互いに成長するのです。どんなリスタートの時を迎えるのか分かりませんが、私たちは子どもも大人も積極的に名前を呼び合って、共に歩んでいきたいと思います。

2020年度 年間テーマ「じょうのはしたんけんたい しゅっぱつしんこう!!」   年間聖句「喜びと平和とであなたがたを満たす」(ローマの信徒への手紙15章13節)     

「新しい歩みの中で」                      園長 栗原 武士

ご入園、ご進級、おめでとうございます。今年も春を迎えました。街の桜は満開になり、自然の豊かな力を感じます。一方で、コロナウイルスの影響が社会に影を落とし、先の見えない不安や閉塞する空気を感じています。そのような中で、認定こども園城之橋幼稚園は93年目の歩みをスタートいたしました。今年は12名の新しいお友だちを迎えました。新しいのはお友だちだけでなく、新しく着任した先生もいらっしゃいます。新しい変化の中で、今年度も多くの出会いや関わりを重ね、多くの経験をして、子どもも大人も大きく成長できると確信しています。
2020年度の年間聖句には、「喜びと平和とであなたがたを満たす」という聖書の御言葉(みことば)が与えられました。今のコロナウイルスが猛威を振るう現状を前に、この言葉のように感じにくいというのが本音かもしれません。希望も見えにくい毎日ですが、そんな時ほど、私たちは喜びや平和について、改めて考えてみたいと思うのです。私たちは、どのような状況にあっても、日々経験を重ねています。その中で出来ることが確実に増えていきます。初めて立つことができた。歩くことができた。自分でご飯を口に運ぶことが出来た。丸をかけた等…そうした一つひとつが喜びであり、その喜びに満たされた所が平和なのです。だからこそ、皆様のご家庭も、城之橋幼稚園も喜びと平和に満たされる場なのです。
2020年度の年間テーマを「じょうのはしたんけんたい しゅっぱつしんこう!!」と設定させていただきました。自分たちが喜びと平和に満たされていることを、子どもたちと、お家の人々と共に発見する1年でありたいと思い、共に「じょうのはしたんけんたい」として出発したいと思います。その歩みの中で、日々多くの恵みを受けていることに気付くことが出来ると思います。その時、私たちは4月の聖句にあるように「神に愛されている」ことを知るのです。子どもも大人も、神様に愛された子どもとして、恵まれており、一人ひとり素敵な賜物、良さ、カラーを与えられています。それをお互いに活かし合い、受け入れ合う幼稚園として、保護者の皆様とご一緒に、歩んでいきたいと思います。

2月「このように主によってしっかりと立ちなさい。」           (フィリピの信徒への手紙4章1節より)

「立ち上がる力」                         園長 栗原武士
2月になりました。冬も深まりましたが、雪はなく不思議な感じがします。三国の方とお話をしていたら、福井沖で獲れていた魚が、海水温が上がったために北の海へ上ってしまったそうです。野菜や果物の育ちも例年と変化が出ているそうです。自然の変化を通して、環境問題の大きさを感じます。子どもたちにとってより良い生活が出来るように、関わる大人として環境問題もしっかり考えていきたいと思います。
環境と言えば、幼稚園は環境を通して教育をする場です。環境構成を考え、その中で行われる遊びや生活を通して、経験を積み重ねながら学んでいくのです。今回開催された作品展の作品は、どれも力強く、子どもたちの思いが込められています。子どもたちが体中、絵具や糊だらけになって造った力作です。これらの作品が造られ、飾られていく過程で、子どもたちはこの環境に力付けられていく様子を目にしました。つばめ組さんがダイナミックに色付けをする様子や糊だらけになる姿を見た下のクラスの子どもたちは「やってみよう」という気持ちになり、思い切り作品を作り始めました。慣れない手つきもだんだんしっかりとしてきました。その変化が一日一日と進んでいく様子に保育者も嬉しくなりました。子どもたちも作品が画用紙サイズから大きくはみ出して、より大きなサイズの作品を作り始めた時の目の輝きは生き生きとして、なんとも楽しそうで、自信に満ちていました。こうした体験は生涯なかなか出来るものではありません。自分の力を思い存分発揮するという体験が、自分の持っている力を出し切る気持ちよさを覚え、これからの人生の中で活きていくのです。これからの更なる子どもたちの成長が楽しみです。
今月の聖書の言葉は、「主によってしっかりと立ちなさい」という使徒パウロの言葉です。環境によって力づけられる子どもたちと同様に、私たちは周りの環境から多くの力を頂いています。そう、主から与えられた力です。自分の力は、自分の努力で獲得したようにも感じられますが、実際は主から与えられた多くの出会いや出来事を通して与えられるのです。時に、しっかりと立つことが出来ない時もあります。しかし、私たちは家族や友人、仲間、たった一度出会った人も含めて、人との繋がりの中で私たちは支えられ、力を得ています。子どもたちも、時に立てない時があっても、そうした繫がりの中で必ず立ち上がり、立つことが出来るのです。そのことを私たち周りにいる大人が信じて、子どもたちを見守り、支えていきたいと思います。今月もよろしくお願いいたします。

1月「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」                     (フィリピの信徒への手紙4章13節)

 「可能性の中に」                       園長 栗原武士

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。この新しい2020年が恵み豊かな年となりますよう教職員一同お祈り申し上げます。

 いよいよ始まった3学期は、幼稚園の中で元気に過ごした一年のまとめの時となります。作品展や卒園式などに向けて備える中で、子ども達は更に大きく成長します。 

 作品展は子ども達の持っている力が存分に発揮される機会です。この一年で成長した心と体を使って表現します。運動会では体の動き、つまり「動」で表現されますが、作品展は出来上がる作品、つまり「静」で表現されるのです。しかし「静」といっても、不思議なもので、色使いや勢い、大きさ、細やかさなどが感じられ、「静」の中からの子どもの「動」の姿を見ることが出来ます。その時、私たちは子どもたちの持つ無限の可能性と広がりを感じることが出来るのです。

 今月与えられた聖書の箇所は、そんな子どもたちの姿を良く表しています。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」この手紙を書いたパウロは、イエス様の話を広めたことを咎められ、牢屋に入れられてしまいました。しかし、そんな状況にあっても、人と会うことや、自由に手紙を書くことが許されました。またパウロを支援する仲間が訪ねて来て、贈り物が届けられました。そんな経験を通してパウロは、どんな状況にあっても、交わりや出来事を通して、人は恵まれており、日々強められていることを語っているのです。そして、強められているからこそ、私たちは行き詰まることなく、可能性があることを教えてくれているのです。

 子どもたちは、日々環境を通して、様々なものを受け取っています。縦割りの生活の中で、自分にできないことをやり遂げるお兄さん・お姉さんの姿にあこがれ、自ら挑戦してみたり、コツをつかんだり、自分たちがお兄さん・お姉さんに支えられたように、下の年齢のお友だちを助けることを学んだりしています。こうして交わり合いながら、経験を重ねて成長してきました。そして、成長した姿を、お家の人や先生から励まされることで、自己肯定感が高まり、自信をつけていきました。このようにして強められた子どもたちだからこそ、無限の可能性を持ち、自分の力を自由に発揮して、毎日過ごすことが出来るのです。交わりを通して、育み合った子どもたちが造る作品ですから、生き生きとした空気に包まれるのです。

 この育み合う関係は、子どもたち、お家の人、教職員、すべての交わりにおいて大切です。今年も育み合う幼稚園として歩んでまいります。よろしくお願い致します。

11月「同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」 (フィリピの信徒への手紙 2章2節より)

「同じ愛を抱く」                       園長 栗原武士
秋も深まりました。雨の日も多いですが、園の中でも、外でも子ども達は元気に過ごしています。沢山の行事を通して、子ども達は様々な経験を重ねて、成長した姿を見せてくれています。11月も、身体と心で季節をいっぱいに味わっていきたいと思います。
先日、全国設置者園長研修大会が行われ、参加してきました。その中で国が、これからの教育をどのような方向で進めていくのかについて、文科省の担当官より説明がありました。「自立した人間として、主体的に判断し、多様な人々と協働しながら、新たな価値を創造する人材として育成」することを目標としているとのことでした。幼児教育に当てはめれば、「主体的に取り組める子どもを育む」ということだと思います。城之橋幼稚園では、子どもたちが主体性を持って歩むことが出来るように、心の育ちを大切にして保育を行ってきました。恐ろしい速さで社会が変革するこの時代に、心の育ちがより重要になっていくことを、改めて感じました。
主体性を育む一つに、協働することがあげられます。友達や保育者、お家の人と一緒にいろいろなことを取り組む中で主体性は育まれます。一緒に何かを行う時、自分の中で考えを持ち、お互いの思いを伝えたり、聞いたり、感じ合ったりします。その交わりを通して、自ら行動する意欲や力が培われるのです。子どもたちは遊びの中で、それぞれの思いを重ね、自然と遊びが広がっています。お互いを感じ合い、いつの間にか流れが決まり、決まったかと思えば、さらに変化し、その広がる世界は豊かで、無限です。新たな時代にこうした力は必要だと思います。
聖書の中で「同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」と書かれています。心を合わせ、思いを一つにすると考えると、行う中身まで一致しなければいけないように思えてしまいますが、そうではありません。同じ目標を持っていても、それに対する考え方は、それぞれ違います。そうした違いがあるから、考えが広がるのです。違いは豊かさであり、恵みなのです。自分の子と他の子と比べて、違うことを心配される話も耳にしますが、それは豊かさや個性の現れでもあるのです。その豊かさを持って、お互いに思いを合わせることが大切なのです。「同じ愛を抱く」の愛は、「互いに仕え、支え合う」ことを意味します。その思いを持つ者同士が、それぞれの違いを持って、仕え、支え合うことで、一人ひとりが自己肯定感に満たされ、自分の思いを出し合い、主体性が育まれるのです。今月も、子どもたちの交わりに寄り添い、歩んでいきたいと思います。

10月「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び」               (マルコによる福音書 4章8節より)

「芽生え、育って実を結ぶ種」                 園長 栗原武士
2学期になって一生懸命練習した運動会も終わりました。子どもたちは大きく成長しました。最初はうまくいかなかった運動会の種目も、「やってみよう」という気持ちを持って取り組み、友だちや先生からの声援、お家の人の後押しを頂きました。運動会当日は、お家の人に見せたい気持ち、友だちと楽しむ気持ちに溢れていて、自分のできる力を精一杯出し切り、輝いていました。この経験が、これからの園生活を更に豊かにしていきます。行事が続く2学期もいいスタートが切れました。

この運動会の後に、縄跳びに挑戦した子がいました。つばめ組さんの姿や、運動会に来ていた小学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんの縄跳びをする姿を見て触発されたようです。でも思うようには飛べません。縄を前に出して、片足ずつ飛ぼうとしています。自分の目で見た姿を再現しようとしています。繰り返しても失敗するので、声を掛けようと思ったその時、様子を見ていたお姉ちゃんが声を掛けて、見本を見せてアドバイスしていました。運動会だけでなく、縦割り保育など園生活を通して、自然に支え合う空気が出来上がっています。こうした繫がり合いに支えられて、子どもたちは成長するのだと改めて感じました。

今日の聖書の箇所でイエス様は、種を蒔く人のたとえ話をされました。この当時の種蒔きは、直接、種を土地に蒔いていました。すると、種の一部は、固い道の上や、石が多い場所、茨の中に落ちてしまい、上手に育たないこともありました。しかし、蒔き続ければ、多くは良い土地に落ち、種は芽生え、育って実を結ぶのだとイエス様は語られました。しかし、私たちはなかなか結果が出ないと心が折れてしまい、挑戦することをやめてしまいたくなる時もありますが、大丈夫です。私たちは繋がり合って育んだ良い土地の上にいるのです。その関わり合いの中で、励まされ、力を得ています。その繋がりに安心感を覚えるからこそ、何度でも挑戦できるのであり、その結果、成長していくのです。この良い土地は、子どもたちの関わりだけで作られるのではありません。お家の人との繋がりや、保育者との繋がり、お家の人と保育者の繋がりなどの多くの繋がりによって、開墾され良い土地になります。そうした中で育った子どもたちは、周りの人々との関わりを感じ、自分も同じように関わり合うようになります。こうして一人ひとりが受けた恵みは広がっていき、何倍もの実を結ぶのです。この恵みに感謝したいと思います。

9月「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカによる福音書5章4節より)

「言葉を受けて」          園長 栗原武士

日中はまだ暑いですが、少しずつ朝晩は涼しくなってきました。秋雨前線もやってきて秋の空気を感じています。夏休みも終わり、いよいよ2学期が始まりました。運動会やクリスマスなど、楽しい行事が沢山予定されています。子どもたちが2学期の歩みを通して更なる輝きを見せてくれることを今から楽しみにしています。

私はこの夏休み、沢山の生き物に囲まれて生活しました。もともと金魚を飼っていたのですが、子どもたちがカブトムシを頂き、カエルやメダカ、カナブンの幼虫を捕まえたので飼いたいということになりました。他にもタニシやエビも飼うことにしました。生き物を飼うことは、世話の必要もあり大変ですが、子どもたちはその生き物の生態に興味を持ち、自分たちで本を調べ、観察する中で沢山の発見をしました。実際にカエルが餌を食べる瞬間の動きを見た子どもは「図鑑に書いてあるけど、本物の動きってすごいね。」と驚きの声をあげました。こうして学んだことは忘れることはないでしょう。

子どもから生き物を飼いたいという声を聞くと、つい大変さを先に思い、「ダメダメ」と拒否することは多いと思いますが、飼う中で学ぶことは沢山あり、その中で大人も初めて知ったことが沢山あります。これは生き物を飼う話だけではありません。子どもから何かを体験してみたい、やってみたいという声を聞きます。当然、すべて希望通りに応えることは出来ませんが、そんな時、大人の経験や考えから先に答えを出してしまい、「ダメダメ」と拒否してしまうことがあります。そうすると子ども自身が体験し、経験するチャンスを失うことになります。それよりも体験する子どもに寄り添い、その時間や経験を一緒に共有することで、子どもはより経験を心に刻み、大人もそこからいろいろなことを学び、子どもと大人の関わりも深まるのです。

今日の聖書の箇所は、漁師であるシモンにイエス様が漁を勧める言葉です。この時のシモンは一晩中漁をして魚を捕まえられず、あきらめていた所に声を掛けられました。その後、彼が網を下ろすと大漁となるのですが、私たちも彼のように経験や思い込みに縛られていることが多いと思います。それに対し、子どもたちが心躍らせ、挑戦したい気持ちを出している姿に、ハッとさせられることがあります。自分たちもそうして挑戦し、失敗も成功も糧として成長してきたことを思い出します。子どもの挑戦する気持ちや心、それは神様から与えられた恵みだと思います。この2学期も子ども達の思いに寄り添い、支えていき、共に歩んで行きたいと思います。

7月「まことの光が輝いているからです。」 (ヨハネの手紙一 2章8節より)

「互いに照らし合って」          園長 栗原武士

  梅雨も中盤を迎え、紫陽花の花も美しい季節となりました。時折見せる晴天の日には子ども達は、どろんこあそびや散歩、草花や野菜の観察などを楽しみ、肌で自然を感じています。

 4月に入園したお友だちも、1学期の最後の月を迎えます。最初は、園の生活に慣れずに、涙することがありましたが、園でお気に入りの遊びや友だちが見つかると、園での生活が楽しくなり、笑顔で通えるようになりました。だんだんと自分の思いを出せるようになって、交わりも深まってきました。周りの様子も少し広く見えるようになり、いつも遊んでいる友だちだけではなく、仲間が広がり、クラスの保育もより豊かになっています。

思いを出し合って生活すると、思いがぶつかり合う時もあります。その結果、自分の思いが通らないことも当然出てきます。それによって悲しい気持ちや不安な気持ちが生まれます。そんな時に友だちや保育者、保護者の方々が、声をかけ、話を聞くことで、自分のことを考え、受け止めようとしてくれる人が側にいるということを知り、悲しい気持ちなどを乗り越えていくことが出来るのです。この支えられた記憶が、他の友だちが困っている時に、友だちを支える力へと変わるのです。

 聖書の中に、「まことの光が輝いている」と記されています。神様はまことの光で私たちを照らし、隠れている悲しい気持ちや、自分の本当の思いなどを明らかにして、ありのままの私たちを受け止めて下さるのです。そのことを私たちが感じられるように、神様は私たちに隣人を与えて下さいました。その隣人との関わりを通して、自分がありのまま受け入れられていることを知るのです。

子どもたちも、友だちや保育者、保護者の方々に支えられる中で、自分が肯定されていることに気付きます。「みんな違ってみんな良い」ということも、自分が周りに受け止められているからこそ、その違いを受け入れることが出来、お互いに支え合うことが出来るのです。そうすると、お互いの良さが響き合い、保育もよりダイナミックなものとなり、さらなる大きな成長へと繋がっていきます。お互いに照らし合い、受け止め合う者でありたいと願っています。

6月「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」(詩編 150編6節)

「力の限りに」                      園長 栗原武士

 本来、この時期は爽やかで過ごしやすいはずですが、すでに30度に迫る気温となりました。熱中症に気を付けながら、新緑の綺麗な時期を楽しんでいます。春に入園した子どもたちも、ずいぶん幼稚園生活に慣れきました。次第に自らの個性を発揮し始めています。

 自由遊びの時間の過ごし方は人それぞれです。砂遊びに打ち込む子どももいれば、大型遊具を繰り返し楽しむ子どもや、ボール遊びを先生や友だちとしている子どももいます。それぞれに真剣で、全力で遊んでいます。砂遊びをしている子どもに「何を作っているの」と声をかけると、「これはケーキなんだ。園長先生にも分けてあげるね。」と答えてくれました。そのあと作った、砂の料理の説明を聞くと、「これはカレーで、お父さんの分(ままごとの配役です)。こっちはね…」それぞれに考えや思いがこもっていて、嬉しそうに話していました。子どもたちは、遊びを作り出す天才です。大型遊具も子どもたちの目には、秘密基地になったり、お城になったりします。場面は無限大で、そこで生まれる決まり事も自然に発生し、友だちと調整しながら、遊びが変化します。こうした遊びは自己を表現する欲求から生まれます。それが深まると遊びの種類も増え、技術も身についてきます。するとさらに遊びが発展し、面白くなり、集中することを覚えていきます。身体を動かして考えることを体得すると、それが言葉で考えることに進んで行く力になります。力の限り遊びつくすことが、子どもの育ちにとって、必要な事だと思います。

 今月の聖句は「息あるものはこぞって」主を賛美することを勧めています。言い換えれば、「力の限り」賛美することを求めています。それは何故でしょうか。力の限り賛美することを通して、自分自身に神様から賛美する力が与えられていることに気づかされ、全力で取り組むうちに、その力が広がりを見せるのです。子どもたちは幼稚園で賛美歌を歌います。最初はなかなかうまく歌えなくても、だんだん歌声がきれいになると、いい気持ちになります。それが自信となり、歌声も大きくなります。それは一人だけが変わるのではなく、みんなが変わっていきます。全力で取り組むことは、みんなも変えていく力になるのです。賛美することは、何も歌う事だけではありません。生きるすべてが神様に捧げる賛美なのです。子どもたちにとっては「遊び」も「賛美」なのです。子どもたち自身が遊びを深められるように、傍で見守り、支えていきたいと思います。

3月「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (マタイによる福音書 28章20節)

「 いつもあなたがたと共にいる 」               園長 浦上 充
楽しい時は、あっという間に時間が過ぎていくもので、今年もこの時期を迎えました。3月は、子ども達だけでなく、私たち大人にとっても一年の締めくくりとなる大切な時です。幼稚園のそれぞれのクラスでは、これまでの1年間を振り返り、春に新しい名札をもらえるのを楽しみにしています。特につばめ組の子ども達は、これまで幼稚園で育んできた大切なことを、ひとつひとつ心におさめ、小学校という新しい世界に踏み出していこうとしています。この時を、共に歩むことが出来て、私たち教師はさみしさを覚えながらも、誇らしい気持ちで毎日を歩んでいます。
今月の聖書の言葉は、そんな私たちを力強く送り出す言葉が選ばれました。「いつもあなたがたと共にいる」。この言葉は、イエス様が話していたヘブライ語では「インマヌエル」と言います。クリスマスの最初の日、大天使ガブリエルがマリア様にイエス様を身ごもった事を伝えた時に出てきた言葉です。聖誕劇の歌の中にも出てきましたね。
私たちは、人生の中の様々な場面で岐路に立たされ、どの道を選ぶのが正解なのだろうかと悩み、また迷います。不安が伴います。安心も出来ません。それは、それだけ自分の人生を精一杯、一生懸命歩んでいる証拠でしょう。何歳になったとしても、どれ程の経験を重ねたとしても、皆、新しい世界に入っていくのは、とても不安だからです。今年、18人のつばめ組さんが幼稚園を卒園していきます。ぴかぴかに輝くランドセルを誇らしそうに背負い、幼稚園を巣立っていくためには、新しい世界に踏み出すための多くの勇気もいることでしょう。その時、私たちを支え導いてくれるのは、これまで私たちを支え導いてくれた神様のみ言葉です。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」この聖書のみ言葉の通り、子ども達が新たに歩み始める新しい世界も、決してひとりぼっちの世界ではありません。神様が共にいてくださる世界です。これから幼稚園を巣立っていく子ども達が、しっかりと自分の足で踏ん張って生きて行けるように、そして、春には新しい名札を胸に付けて、お兄ちゃん、お姉ちゃんとなって新入園児を迎える子ども達の上に、神様の豊かな祝福と恵みがありますように、お祈り致します。
最後になりましたが、園長である私(浦上 充)も、城之橋を巣立っていく事となりました。城之橋で過ごした10年の時は、私にとって大切な宝物です。私自身も今月の聖書のみ言葉を胸に携えて新しい一歩を踏み出します。神様の限りない愛と慈しみが皆さまの上に豊かにありますように。

2月「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」 (ローマの信徒への手紙 12章15節)

「すべての人と共に喜び合える世界」               園長 浦上 充
昨年とは打って変わって暖かい年明けを迎え、子ども達も、晴れ間を見つけては園庭で元気に走り回っています。これからの季節、雪が積もる日もあるでしょうが、子ども達がのびのびと雪遊びができるくらいに積もって欲しいものです。
子ども達の作品展と同様に、園舎の増築工事も仕上げ作業に入ってきました。多くのお祈りやお支えをありがとうございます。
2月に入り、今年度も残りわずかとなってきました。小さなクラスの子ども達は、お兄ちゃんやお姉ちゃん達から、遊びや工作などさまざまな事柄を見習いながら、幼稚園生活を満喫しています。2月は、そんな私たちにぴったりの聖句が与えられました。
みんなで力を合わせて、何かを成功させる喜びは、それを味わったことのある子にしか得られない快感です。皆、その喜びの原体験をもっているからこそ、大人になっても苦難に立ち向かい、みんなで一緒に力を合わせるという事が出来るのです。しかし、使徒パウロが『聖書』の中で語っている事は、自分の仲間同士だけでなく、自分とどうしても折り合いのつかない者同士や敵同士であったとしても、共に喜び、共に泣きなさいと言うのです。
良く知っている仲間、自分のことを大切にしてくれる仲間とであれば、嬉しいことがあった時には、自然と共に肩を抱き合って喜ぶこともできますし、悲しいことがあった時には、共に泣くこともできます。しかし、その相手が、お友達や仲間ではない場合、このことを実践するのは、とても困難です。世の中の理屈では、それが普通でしょう。
しかし、キリストはそうであってはならないと語りました。「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
この世のすべての人と仲間になることは、とても難しいことですが、一人でも多く本当の意味で、肩を抱き合って喜び合えるお友達を作っていきたいと思います。この城之橋幼稚園は、そのことを実践できる場所です。年齢や考え方が違っても、共に助け合い、喜び合い、肩を抱き合って泣くことのできる世界を、共に作っていきましょう。

1月「求めなさい。そうすれば、与えられる。」 (マタイによる福音書 7章7節)

「あこがれ ~求めるということ~ 」               園長 浦上 充
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。新しい年が恵み豊かな年となりますよう教職員一同お祈り申し上げます。
3学期は、幼稚園で過ごす一番期間の短い学期ですが、作品展や卒園式など、子ども達にとって、一年のまとめの時です。
子ども達は、この1年で本当に大きくなりました。春には、お母さんと離れるのが心細くて泣いていた子が、今では「いってきまーす!」と、元気な声で登園できるようになり、好きな遊びや得意なこともいっぱい見つけられました。幼稚園では、作品展の準備が進められています。今年はどんな作品が並ぶのかな? 大人たちの枠に納まりきらない子ども達の世界を感じていただければ幸いです。どうぞお楽しみに!
今月も、そのような大切な時期を過ごす私たちにぴったりの聖句が与えられました。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。」聖書の中でも、特に有名な箇所ですので、お聞きになった事がある方もいらっしゃるかもしれません。ぐんぐんと成長していく子ども達の背中をぐいっと押してくれるとても力強い聖書の言葉です。しかし、じっくり考えてみると、とても厳しい言葉でもあります。この聖句には、「求めない者には、与えられない」という意味も含まれているからです。
私たちは、生まれてからこれまでの間、本当の多くのことを求めて歩んできました。その中には、実際に願いが叶ったこともありましたし、途中であきらめてしまった願いもありました。しかし、その最初にあるのは、「○○がしたい!」という夢や「○○になりたい!」という「あこがれ」です。この「あこがれる」という思いは、何かを成し遂げたいという強い思いの源となり、求め続けていく原動力となります。その力を持っている子どもは、着実にその夢の実現に向けて歩みを進めることでしょう。
つばめ組さんは、クリスマスの聖誕劇や作品展を通して、心の中にある願いや思いを、力いっぱい表現しています。そして、小さいクラスの子ども達は、そのようなつばめ組さんが夢に向かって力強く歩んでいる姿をあこがれのまなざしで見つめています。
幼稚園は、このかけがえの無い時を、大切に過ごしていきたいと思います。2019年も、祝福に満ちた年となり、夢に向かって力強く歩む年となりますよう願っています。

12月「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」 (マタイによる福音書 2章10節)

「イエス様への贈りもの」                    園長 浦上 充
メリー クリスマス! 今年も、待ちに待ったクリスマスがやってきます。幼稚園では毎日、聖誕劇(ページェント)のセリフや合唱の美しい声が元気に響いています。
クリスマス前の4週間の期間を、キリスト教では「アドヴェント」と言います。日本語では、「来る」という意味であり、イエスさまがお生まれになるのを、まだかまだかと待ち望む季節であり、幼子の誕生に向けて、準備をする季節でもありあます。
今月の聖句として与えられた、東方の学者たち(三人の博士)のクリスマスへの旅は、正に、待ち望むアドヴェントの歩みでした。
伝承では、彼らはバビロニア、インド、エチオピアから、星を頼りに旅を続けたと言われています。何千キロにも及ぶ遠く長い旅でした。それも、彼らがその旅の頼りにしたのは、救い主が生まれることを告げる大きな星と大昔(紀元前2000年頃)に書かれた「救い主がお生まれになる」という預言書だけでした。彼らは、その預言を信じて、旅を続けたのです。博士たちが、劇の中で朗読するこの預言書は、メソポタミア文明の楔形(くさびがた)文字として、小学生4年生の社会の教科書に掲載されています。
博士たちは、黄金、乳香、没薬という、宝物を携えてクリスマスへの旅をつづけました。この宝物は、一つで家が何軒も建つほどのたいへん高価なものです。彼らは、自分に出来る精一杯の贈り物を持って来ました。残ったお金で用意したものではありません。献げ物には、その人の心が伴うからです。
クリスマスの日、神様は私たちひとりひとりの姿を見ておられます。クリスマスへの長い旅路の間、今年一年の間にあった苦しかった思いも、楽しかった思いも、悲しかった思いも、すべてをちゃんと見てくださいます。
クリスマスが近づいてきました。自分が貰うばかりではなく、クリスマスの本来の意味である、自分から差し出すことも覚えたいと思います。
全ての人々に与えられているクリスマスの恵みを共に味わい、共に祝いましょう。

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