
ここに愛があります。 ヨハネの手紙1 4章10節
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という本、ご存じでしょうか? 園長 中村紀久子
この本は、決して砂遊びの効果が書いてあるのではありません(笑い)。今から30年位前、世界の103国に翻訳され、700万部のベストセラーになりました。作者はロバート・フルガム(1937年生まれの哲学者)さんです。
このエッセイ集から世界で数千万人の読者が「なるほど」とうなずき、学校や職場、マスコミなど世界中で大ブームを引き起こした珠玉のエッセイ集です。2005年には改定されて売り出され、ロングセラーとなっています。
充実した人生を送るためには、幼児期に教えられたことがカギ。今一度それを思い出して、生涯大切にすべき知恵として心に留めておこう、という考え方なのです。充実した人生を送るために必要なことは、すでに大体知っていて、しかも難しいことではないと気づきます。すでに幼稚園で教わっていたのではないかと思い当たるのです。
人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場にうずまっていたのです。皆はそこで何を学んだろうか。
「何でもみんなで分け合うこと。ずるをしないこと。人をぶたないこと。使ったものはかならずもとのところに戻すこと。ちらかしたら自分で後片ずけをすること。人のものに手を出さないこと。誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。食事の前には、手をあらうこと。トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。釣り合いの取れた生活をすること・・・・毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと。不思議だな、と思う気持を大切にすること。」
20世紀というこの複雑な時代と厳しい社会にあって人々は一種の脅迫観念に取りつかれている。あらゆる面でもっともっとと急き立てられている。
それが自己否定や絶望を招き、厭世観を生む結果となっている。この本は人が生きて行く上で必要なことを私たちはみんな、充分に知っているし、お互いに思い遣りをもって、手を繋ぎ合っていけば大丈夫だということを語りかけている。それが読者に安心を与え、世の中、捨てたものでもないという慰めになっているのではないでしょうか。混迷の現代アメリカ社会に過剰なストレスを負って生きる人間にとって、この本は得難い一服の清涼剤である。と言われました。 |
「一緒に喜んでください」 ルカによる福音書15章6節
クリスマスの発表素敵でしたね 園長 中村紀久子
皆さんクリスマス会の時の聖誕劇、ご覧になりましたでしょうか?素晴らしかったですよね。私は、練習の時から、子ども達の一生懸命さ、真剣さと、その歌や語るセリフなどに感動し、少し陰から静かに時に涙をこらえて観ていました。
子ども達は、この練習で騒ぐなどということは全くなくて、毎回1時間くらいかかる間、きちんと静かに参加していました。どこに出しても恥ずかしくない聖誕劇です。
本番では、可愛い衣装も、きれいに手入れされていて、一人一人に似合っていて、かっこよく見えましたよね。小道具もさすがでしたね!
感動したエピソード①つばめさんが聖誕劇の練習を始めるころ、つばめさんが配役を決めることになりました。みんな小さい組にいるころから、それぞれの役に憧れをもって成長してきたようです。「大きくなったら、マリアさんになりたい」「羊飼いさんが良いな~、博士さんもいいかなー」「私は天使、いやー宿屋さんが良い」などと胸を膨らませて楽しみにしていたのです。でも、クリスマスは、神様が私たち人間に大切なひとり子イエス様を下さった喜ばしい日であることを考えたのでしょう。「大事なお話なので、じゃんけんで決めないでみんなで話し合おう!」との意見が出され、イエス様のお誕生をお祝いする気持ちが、あふれてきたそうです。そして、みんなで話し合いながら役を決めていったようですよ。この話を聞いて、確かに子ども達がしっかり成長していることを感じました。
エピソード②あるご家庭のお父様が聖誕劇を観に来られました。お父さんはお嬢さんが舞台で踊り、歌い、きちんとセリフを話す姿をご覧になって、大変感動されて、熱い思いになられたのでしょう。(彼女にはお姉さんがおり、下の子なので、ついつい頭の中には幼い小さい子というイメージがあったのでしょう。)お家に帰られて、お父さんが彼女の演技を観られての感想を話され、その成長ぶりに感動されたようで、涙を流されたそうです。その姿を見ておられたおばあちゃんは息子さんが娘さんの成長に感動されているお姿をご覧になりました。今度はおばあちゃまが、「息子も自分の子どもをこのように可愛いと思うようになり、立派な大人になったのだな~」と涙が出てしまったというお話を聞きました。なんと素敵なご家族でしょう!このお話を聞いて、私も涙が出ました。
クリスマス会の発表は、それぞれの年令に合ったお歌やダンスや劇、合奏が先生方の愛情と熱意によるご指導により、可愛くて素敵な舞台となってましたね。いつも何をする時にも、先生方はおひとりおひとり、愛情と頑張りとともに素敵な光るものを持っていらっしゃることを感謝しています。 |
「さあ、ベツレヘムへいこう」 ルカによる福音書第2章15節
クリスマスの喜び 園長 中村紀久子
クリスマスはイエス様のお誕生を喜び、心から感謝し、祝う日です。
2000年以上前のローマ帝国時代、人々は辛い、嫌なことや、恐怖や不安を感じながら生きていました。そして神様は預言者を通して私たち人間に神さまの一人子をくださる約束をしておられました。人々はずーっと、ずっとひとり子が生まれてくるのを待っていたのです。
神様は大切なご自分の一人子を下さるほどに私たちを愛しておられました。
私は、お恥ずかしいのですが、いつも聖書を読んでいるわけでもなく、聖書の勉強が好きということもないような普通の人間です。
小学校4年生頃にイエス様と出会いました。たまたま父の同僚が教会学校の校長先生だったのです。
そんなわけで、教会学校に通い、ページェントをしたり、ハイキングに行ったりしていました。そのころ両親が離婚して2度目の母が来てくれていましたが、わたしは祖母と新しい母との間に入って悩んでいました。けれども、教会に通っていましたから、神様が私とともにいてくださることだけは信じ切っていました。その当時、私が必ず学校に行く前、朝食前にしなくてはならない雑巾がけで、廊下を拭きながら、心の中では神様に様々なことを話して、祈っていました。それで、辛いことを乗り越えてくることができました。
さて、神様は、その愛を示すために、人となってきてくださいました。そして、人間の罪をすべて背負って、苦しい十字架におかかりになりました。私たちを最後まで愛し抜かれたのです。ご自分の命を捨てても、私たちの命が大切だと思われて、与えつくして死んでしまわれました。クリスマスは、このイエス様が生まれてきたことを祝う日なのです。神様が人の苦しみや悲しみを引き受け、人と共に生きて、その愛を深く示してくださったのです、この神様の愛に支えられて、人は生かされています。どんな時でも神様がともにいてくださいます。なんと幸せなことでしょう.
クリスマスは、神様の私たち人間に対する深い深い愛情を感じます。 |
インクルーシブ教育システムってご存じですか?
園長 中村紀久子
この夏、金沢で、ある研修を受けました。その研修の中に、インクルーシブ教育システムという言葉が出てきました。私は知りませんでした。なのでちょっと衝撃を受けました。2006年国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」で示されたようです。
私の知りえた内容ですが、今までは障害とか特性を持った少数派の子どもたちは、いろいろ努力して能力を身に着け多数派の子どもたちに近づくという方向性で少数派が変わることを求める発想でした。
しかし、このインクルーシブ教育システムというのは、多数派の子どもたちが少数派に近づく方向性、つまり多数派の子ども、保育者が変わるという発想なのです。今まではどちらかといえば障害のある人が社会に合わせてきた。これからは、社会が、どれだけ多様な人々に合わせていけるか、園や学校が、多様な子どもがいることを前提に変わっていけるのかが問われるようです。このようなことが現実に動いているというだけで、良い意味のショックを受けました。
それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支えあい、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会です。
もし、この様なインクルーシブシステムが確立されるなら、10年後、20年後、どのような素敵な社会になっているのだろうかと思います。しかし、日本は少しでも普通と違う人に対して、偏見があり、障害者は別々に学んでいましたので、ちょっと不安でした。
10月3日の新聞では、国連の委員会が日本で、この権利条約の取り組みについて、対面調査を実施し、日本政府への勧告が示されたそうです。そして更にインクルーシブ教育が進んでいる大阪に対して文部省が逆行するような通知を出し、批判を受けているとか。日本ではなかなか進まないのでしょうか?政府には真摯な対応が求められます。
7月17日から第1回インクルーシブ水泳大会が横浜国際プールで開かれました。どんな水泳大会だったのかと気になるようになりました。 |
金子みすゞさんの「みんな違ってみんないい」を思い出しています。
聖句 あるものは百倍にもなった。 マルコによる福音書4章1~9
おいしい給食! 園 長 中村紀久子
暑かった8月も終わりました。大雨による災害も、怖かったですね。
皆さん、城之橋幼稚園のお給食はとてもおいしいこと、ご存じでしょうか?
私には職場の幼稚園の給食を食べるという経験は、ありませんでした。今回この園に来ることになっての初めての体験です。
しかし、おひとりおひとりのお子さんのことを思う時、おいしいお食事を、いつも幼稚園で食べられるということは、何という幸せなことかと思います。食べることって人間にとって、とても大切なことですし、おいしいお昼が待っていると思うと、何をしても無意識のうちに心が弾みますよね。
この園の給食は、普通の食べなれたおかずが、そして、そうでなく工夫されたおかずも両方とも、とっても美味しいお味だということに感動しています。つばめさんがお庭で育てたトマト、ナス、ピーマン、キュウリ等が給食に入っている時には、幼稚園中の子ども達がみんな喜んで、「おいしい、おいしい」と食べていますよ。
調理室にはおいしい給食を作るためのヒントがあるようです。探してみましょう。
①調理室にはスチームコンベクションという、お魚やお肉を柔らかく焼いて作る、機械があります。それで、出来あがった鮭のムニエルやお肉が柔らかく香ばしくおいしく食べられるのです。この機械は蒸したり、茹でたりということもできるそうです。
②お野菜はすべて皆さんが食べやすい大きさに、でも細かすぎないように切ります。
園児さんの噛む力をアップさせるためなのですって。③お出汁は、大きな昆布や鰹節を使い、最後には細かく切ったり削ったり、その後、お味噌汁に出汁として入っています。④それに、様々な調味料は保存料の入っていない調味料を使っておられるとか。そして、味付けですが材料、作る量などによって、パソコンで計算して味付けを
するそうです。すごーいですね。子どもたちの健康のために濃い味付けにならない
ように注意もされています。途中でちょっと味見をして味付けをされるそうです。
調理室の先生は、「たくさんの量を作るからおいしいのよ。」とおっしゃっています。
また、ある先生は、いくつかの場所で保育の仕事をされたそうですが、そのどこの園よりも「この園はおいしいですよ」「調理室の先生方の温かさが味に出ているのよ」と仰っておられましたよ。やっぱりね。
調理室の先生方、何時も美味しいお給食をありがとうございます。心から感謝しています。先生方の工夫とセンスと愛情がたっぷりと入っているのです。お泊り保育の時の夕食ですが、それはおいしいカレーライスと、おいしいサラダとデラックスなデザートでした。おなか一杯に食べて満足した夜でした。ずーっと忘れない味でしたね。 |
主に向かって、心からほめ歌いなさい。
エフェソの信徒への手紙 5章19~20節
『だーい好きなお部屋』 園長 中村紀久子
城之橋幼稚園には、何と言ったら良いのでしょうか、職員室であり、事務室であり、保健室であり、小さな図書館であり、休憩室みたいなお部屋があるのです。先生方も2~3人はいらっしゃいます。ある時はチョットした怪我をして、その部屋に入っていくと、その部屋にいらっしゃる先生が、「あら、〇〇ちゃん痛かったでしょう!」と優しく話してくださり、痛みが消えていき、絆創膏を張っていただくのです。またある時には、クラスの先生と一緒に、「ちょっとだけここに待っててね!」みたいな感じで連れて来てもらった子どもちゃん。もうすぐお迎えなので、と待っているお友達も。すると、中にいた先生が椅子を出してくださいます。子どもたちはさっと椅子に座ります。そして本棚にある本をすばやく出して、うれしそうに眺め始めます。(実は、この部屋には、どこのクラスにもない魅力的な絵本が小さな本棚に入っていて、ここを訪れた子どもちゃんだけはそれを読んでもよいことになっているのです。)何だかうれしそう。この部屋で会う時の子どもたちの顔ったら、まーそれは得意気で、満面に笑顔をうかべ、幸せそうです。私まで素晴らしい幸せをもらってしまうような顔をしています。
このような子どもたちの顔って見たことがないように思います。だから思いの他、早くお迎えが来てしまったりすると、ちょっと残念というお顔がうかがえるのです。私たちにもこのような居場所があったら、どんなだろうと想像してしまいます。ちょっと、子ども時代に戻ってみたくなりました。
大人にとってこのような場所ってあるでしょうか?地域コミュニティとでもいうのでしょうか?ちょっと違うようですね。よく言われている昔の『純喫茶』みたいなところでしょうか?素敵な音楽と美味しいコーヒー。それとも今はやりの女子会?いや、違いますね。私たちも子どもたちのように、楽しい幸せな場所が見つかるとよいですね。
これから、このような場所を見つけ続けたいと思っています。 |
探しなさい。そうすれば見つかる。 マタイによる福音書 7:7
『お 祈 り』 園長 中村紀久子
爽やかな新緑の季節となりました。春に入園してこられた小さな子ども達も次第に幼稚園に慣れて、個性あふれる様々な姿を見せてくれています。
園庭には子どもたちの大好きな、アリやダンゴムシや美しい花びら、石ころなどがあって、見つけるのが楽しそう!
朝、保育が始まる直前の7時55分、その時間に出勤している保育職員は、ほし組さんに集まります。聖書を片手に、床の上にシートを引いて座ります。
大体10人位ですが、その日の当番の先生が、交代で聖書を読み、当番の教会の牧師がその聖書部分について解説したものを読みます。そして、祈ります(神さまに、新しい一日を感謝し、今日一日のお守りと、豊かな一日であり、安全に怪我無く一日を過ごせるように守り導いてください等々と)。
実は、すでに登園している子ども達も10人位います。1才から5才まで。
子ども達はちゃんとわかっていて、55分に間に合うように入ってきて、先生方の隣に静かに座るのです。そして、黙って聖書の言葉を聞き、解説も聞いているのです。そしてお祈りの最後のところの「このお祈りをイエス様のお名前を通してお捧げ致します。」と祈るところだけは先生やお友達と合わせて祈るのです。本当に毎朝感動しています。
何とも言えない体験です。朝のせわしない状況の私たち、子どもたちとともに朝の祈りの時を持つことができて、とても感謝です。時々、朝のこの場所には、本当に神様が私たちとともにいらっしゃっているのだと思います。こういう感じを聖霊に満たされたというのではないだろうかと感じています。
皆さんのご家庭でも、子どもたちがお食事の前に、寝る前に、お祈りすることがあるかもしれませんね。どうぞご一緒に、手を組んで、目を閉じ、心を開いて、神様とお話されてはいかがでしょうか?
神さまは、天のお父様だから一人一人のお祈りを必ず聞いていてくださいます。
そして一人一人に一番良いと神様が思われることをしてくださるから、安心して、たくさん求めて、たくさん門をたたいてくださいね!ってイエス様は言われます。 |
「子どもたちをわたしのところに来させなさい」マルコによる福音書10:14
『ありがとう』 園長 中村紀久子
新緑の美しい季節となりました。幼稚園のお友達はさんぽに出かけるには、絶好の季節となりました。新入園されたお友達も少しずつ幼稚園になれて、笑顔が見られるようになりました。
皆さんのお宅には、お子様が製作されたこいのぼりが泳いでいますか?
たまご組さん、ひよこ組さん、つばめ組さんが楽しそうに絵の具を使ってこいのぼりの製作に取り組んでいましたよ。どのこいのぼりもそれは美しく個性的に素敵に出来上がっていきましたよ。
入園式でもお話ししましたが、私は新米の園長なのです。この園に朝から通い始めて3週間が過ぎました。最初に目に飛び込んできたのは、幼稚園の子どもたちがとにかくのびのびと、安心しきって楽しそうに遊んでいる姿でした。
目をキラキラと輝かせて、何をしていても熱中してましたよ。お部屋で新聞紙を使って製作して遊んでいるとき、絵本を読んでいるときにも、園庭でお砂遊びやご馳走を作っていても、鬼ごっこをしたりかけっこをしていても、元気いっぱい楽しんでいましたよ。そして私は知らぬ間にセロテープ係になっていたり、鬼ごっこの鬼になっていました。
ある時は、私が3才のaちゃんの指先をティッシュで拭いた後、aちゃんが、ゴミ捨て場を教えてくれて、すぐに私に「ありがとう」って自然に言われました。びっくりしましたが、その後、あちこちから、自然に可愛く「ありがとう」の声が聞かれるようになりました。
これらの経験から、先生方は大きな愛情をもって、一人一人を大切に、そして一緒に喜んだり悲しんだりしながら保育をされているのだなーと思いました。
先生方が日頃丁寧に支え導いておられることの積み重ねではないだろうかと思いました。
絵本の貸し出しが始まりますね。子どもさんが幼稚園から借りてきた絵本をお家の方が読んで差し上げれば、親子のコミュニケーション作りに最適ですね。
語彙力や読解力、想像力や集中力など、将来的に役立つ力がいくつも身につくとか言われていますが、、、、。お家の方に読んでいただくなんて、お子さんはう親も読み聞かせを楽しんで、大人が楽しむことが大切ですよね。れしいでしょうね、お子さんは親の愛情を十分感じることでしょう。 |
「わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから」 (詩編 121編1~2節)
「新たな一歩へ」 中村紀久子
ご入園、ご進級おめでとうございます。
美しく桜が咲き、幼稚園のお庭にも可愛い花たちが並んでいます。
新しい1年が始まりました。今年度私たちは11名の新しいお友達を迎えました。お友達と一緒に楽しい体験を沢山しましょう。
新入園のお子さん達は不安と期待で胸がいっぱいでしょうし、幼稚園に送り出す家族の方もいろいろと不安なこともあるかと思います。今まで親や家族の目の届くところにいたお子さんが親の手が届かない世界へ入っていきます。子ども達も同じように不安があると思います。親も子どもも新しい世界への生みの苦しみを経験します。
この苦しみがいろいろな形で出てきます。幼稚園に行きたくない、お家に帰りたいと泣き叫ぶ子。逆にそれが張り切りとなって現れる子どももいます。しかし、何日かすると立場が逆転することもあります。長引く子、すぐに立ち直る子、それぞれです。幼稚園児はこうあるべきだということはありません。ひとり一人の発達のリズムがあるのです。どうかご家族の皆さんもそれを生みの苦しみととらえ、その子どもと共に苦しみを分かち合い、共に新しい世界へと誕生していただきたいと思います。私たちが経験したように、成長には苦しみがつきものなのです。
私たちの城之橋幼稚園はキリスト教の理念に基づいて教育を推進し、神様に愛され、守られて、心豊かで思いやりのある、優しい気持の子どもを育てることを願っている幼稚園です。
私たちは、ひとり一人の大切なお子様に寄り添い丁寧に保育していきます。
お家の皆さんと私たち保育士のつながりを深めて、お子さんのよりよい成長がなされるように助け合い、支え合って一日一日過ごしていきたいと思います。
どうぞ、何でもお気づきのことはお知らせくださいね。
テレビの画面の中で泣きじゃくっているウクライナの子ども達。幼い子ども達に、こんなに怖い、そして悲しく辛い思いを経験させるなんて、許すことができません。
こんな残虐極まりない戦争を21世紀になった今、始めるなんて、信じられません。
どうか1日も早く戦いが終わり、平和な毎日が訪れるように、心から祈るばかりです。
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3学期は、時間の過ぎるのが早いと、よく言われますが、もう2月になりました。作品展に向かって、子どもたちは毎日、元気に過ごしています。特に製作においては、自分の思いや、気持ちを込めて、思う存分に取り組んでいます。子どもたちの表情を見ても、生き生きとして、輝いています。全身を用い、仲間と一緒に製作することを通して、自分を現し、お互いのことを受け止め合い、考えが広がっていきます。時には、思いがぶつかり合うこともあるでしょう。自分の望まない形になることもあります。しかし、そのような時ほど、より「作品」も「関係」も深まる時となるのです。自分にない考えに触れると、自分の中にある「思い」や「考え」が変化して、新たなものが自分の中で生まれます。それは相手も同じです。変化する中で、気付きが与えられます。相手の事や、自分自身の事、作品の事、いろいろなことに気付きます。その気付きが、製作に関わらず、多くの事に活きていき、関わりを豊かにし、一人ひとりの成長につながるのです。
今月に与えられた聖書の言葉の中に「『平和があるように』と挨拶しなさい」と書かれています。日本では「こんにちは」が日常の挨拶ですが、イスラエルでは日常の挨拶は、「シャローム」(平和がありますように)です。イエス様の教えられた通りに、イスラエルの人々は今も挨拶しています。この「平和がある」という状態は、単に「戦争状態でない」とか「争いが行われていない」という、目に見える平和ではなく、心から安らげる平和の状態を意味します。 もっと言うなら、差別や虐げ、いじめ、搾取、貧困のない状態を指しています。そうした平和が訪れるには、表面上の関わりではなく、より深い関係の中で生まれて行かなければ、平和は生まれてはいきません。しかし、関係を深めると言っても、すべてが上手くいくわけではありません。状況が悪くなる時もあるでしょう。そのような私たちだからこそ、行き詰る時に、主が働いて下さり、間に立たれるのです。1対1では上手くいかないことも、主が出会わせて下さった、多くの繋がりの中から、関わりが回復したり、新たな道が開けたりと、状況が動いていき、再び平和がお互いに訪れるのです。平和があるようにと祈り合う中で、お互いに相手を思い合うことが出来、交わりは更に深まります。主も、その交わりの中に居て下さり、働いて下さるのです。
今、作品展に向かう子どもたちの姿は、正に、この平和を生み出す姿だと言えます。お互いに覚え合い、共に生きる姿に力強さを感じ、嬉しく思います。この喜びの中、3学期の歩みを進めて参ります。今月もよろしくお願いいたします。
「沸き上がる勇気」 園長 栗原 武士
7月になりました。早いもので1学期の最後の月となりました。私たちは、今、梅雨の季節を過ごしています。雨が降ると憂鬱な気分になることも多いです。雨空によって私たちは行動を制限されることや、予定が変更されることもあり、雨に振り回されることもその一因でしょう。気分的にも晴れやかにならず、何をするにしても雨の時は、ひと手間増え、体の感覚としても、まとわりつく感じを覚えます。しかし、一方で雨は私たちにとって必要な恵みでもあり、雨が降らないと水不足が起きてしまいます。動植物の成長の上でも、雨が少ないことで様々な問題が起きるのです。雨が降ることによって得られる恵みに気付けば、そのひと時の雨の受け止め方も変わり、雨からも新たな希望を感じることができるのです。
子どもたちは、4月から始まった新しい生活にも慣れ、以前よりも自分らしさを表に出しながら毎日を過ごしています。その姿に成長を感じ、目を細めています。中には、色々と上手くいかずに困っている様子の子もいます。そんな子どもの様子を見ると、近しい者として悩み、不安に思うこともあるでしょう。でも、それは次の成長に向けた備えの時であり、困難を抱え、悩む中で、新たな気付きが与えられます。繰り返し挑戦を重ね、経験する内に、次の大きな成長に繋がっていくのです。成長に必要な恵みは、ただ順調に進むことばかりではないのです。
今月の聖書の言葉で「勇気を出しなさい」と語られています。勇気を持って事に当たることで、沢山の経験を得ることが出来て、前に進む力となります。でも、勇気を絶えず出し続けられるのかというと、そんなに簡単なことではありません。勇気を持てずに、沈黙する時もあります。また、勇気を振り絞り、力を出しているにもかかわらず、上手くいかない時に「勇気を出しなさい」と言われても、「もう出せません」と言いたくなる時もあります。それでは、何故「勇気を出しなさいと」イエス様は言われるのでしょうか。それは、すでにあなた方は神様から愛されていて、どんなに苦しいことがあっても神様が守り、平和を与えて下さるのだから、希望を持って歩みなさいと、この箇所の直前に語られています。その希望の内にあるから、勇気が湧いてきて、自然に勇気を出せるようになるのです。私たちは神様に備えられているのです。上手くいかない時も、それを用いて恵みに変えられるのです。真剣に向き合えば先が開けるのです。受け止めるのに辛い時もあっても、受け止めていく先に、道は開かれるのです。自己中心的な思いや、こだわり、囚われを捨て、信じて、歩みたいと思います。
「この花のように」 園長 栗原 武士
6月に入りました。福井はまだ梅雨入りをしていませんが、全国的に梅雨の始まりは早く、すでに福井でもかなりの雨が降りました。爽やかで過ごしやすい季節が過ぎ去り、夏に向けて季節は進んでいきます。梅雨の雨、夏の暑さなどを思うと、大変さを感じることもありますが、そうした季節が、自然を育み、私たちの生活を支えているのは紛れもない事実です。春に入園した子どもたちも、幼稚園生活を楽しみ、自らの個性を発揮しながら元気に過ごしています。成長を感じて嬉しい気持ちになる時も多いのではないでしょうか。しかし、いつも嬉しく感じられるとは限りません。様々な不安も感じるのです。育ちの姿は、人それぞれであり、そのペースも、伸びていく部分も違います。そのことを理解しながらも、他のお家のお子さんと比べてしまったり、自分の思うように子どもが成長しないことへの焦りや、不安を感じたりすることがあります。
そんな私たちに、イエス様は一つの問いかけをなされます。「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。」野の花は、人の手によって、植えられ、世話をされることはありません。自然の中で育っていくのです。種が偶然に撒かれ、雨が降り、土の栄養と共に水を受け、芽が出ます。太陽の光を浴び、根が広がり、茎が伸び、葉が生え、花を咲かせるのです。花の輝きは、見る者を魅了します。花が終わっても、実や種をつけ、次の世代へ繋がり、新たな命を広げていくのです。野の花の一生は、平坦なものではありません。しかし、最初から最後まで、自然の中にあって、様々な恵みの内に守られているのです。梅雨の大雨や、夏の日照りによって、厳しい状況になることもありますが、必ず止む時があり、そうした日々の出来事の先で、確実に成長するのです。生きている中には、恵みに思えない時、不安に思うような時もありますが、神様の働きは、日々の様々な出会いや、出来事を通して、私たちに与えられ、恵みの内に歩んでいるのです。私たちに、どんな不安があっても、神様が整えて下さいます。思い悩むことがあっても大丈夫です。
「草花の育ち」から、神様の働きが、私たちに向けられていることに気付かされます。幼稚園のフラワーポットに水をやっていると、子どもたちが声をかけてくれます。その時、子どもたちと草や、花、野菜の成長した様子を観察しながら、一緒に喜んでいます。神様の働きが、この自然の中に溢れていて、私たちもその自然の中の一つとして生かされていることを感じています。花が美しく輝くように、私たちも花を咲かせ輝けるのです。神様の導きと守りを信じて歩みたいと思います。
「背中を押し出されて」
栗原 武士
新学期が始まり、早いもの1カ月が過ぎようとしています。5月は、新しい環境にも慣れてきて、さらに一歩、前に踏み出す時期とも言えます。一方で、新型コロナウイルスの拡大が、福井でも再び起こっています。現在、県独自の緊急事態宣言が発出されており、行事等の変更なども生じており、ご迷惑をおかけいたしますが、感染予防の為にも、ご理解とご協力をお願いいたします。こうした状況が続く中で、昨年同様、先行きは不透明なままで、様々な不安を抱えています。新しい歩みが順調に進んできても、ちょうど、この5月辺りは、疲れが出てくる時期でもあり、停滞することもあります。そんな私たちに向け、今月の御言葉が与えられます。「安心して行きなさい」というイエス様の声掛けが、私たちの背中を押してくださいます。
マルコによる福音書5章25節から34節に、病に苦しむ一人の女性が登場します。彼女は「イエス様なら、私を癒して下さる。この方の服にでも触れればいやしていただける」と信じて、イエス様の後を従っていきました。そして、ついにイエス様を目の前にして、イエス様の服に触れて、彼女の病は癒されました。イエス様は癒された彼女に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と声をかけられました。どんなに不安や、困難な状況にあっても、今までに与えられた出会いや出来事、恵みを受けているから大丈夫と信じて、前に進めば、乗り越えていけることを教えてくれています。
子どもたちの調子は日々変わっていきます。時間がかかって上がっていく子もいれば、最初調子よくて、後になって崩れる子もいます。どのような状況にあっても、子どもたちの毎日の積み重ねは、必ず力になっています。その力を信じ、「大丈夫だよ。安心して行けばいいのだよ。」と背中を押すことで、子どもたちは支えられ、前に進めて行き、それが安心感を育み、子どもたちの自信に繋がっていくのです。
このことは大人も同じです。私たちは普段から様々な恵みの内にいます。与えられた経験、出会い、出来事、すべてが恵みとなっています。そう思えない時もあるでしょう。しかし、後になって気付きを得て、恵みに変えられています。こうした多くの恵みに支えられて、私たちは今まで歩んできました。だから、私たちは信じて歩み出せるのです。安心して歩みだす私たち大人の姿を、子どもたちは見ています。私たちは、主から背中を押し出されています。「大丈夫だよ」と声をかける私たちも、子どもと一緒に「安心して」進み出していきたいと思います。この5月の歩みも主の豊かな祝福がありますように。
「羊の群れに」 園長 栗原武士
ご入園、ご進級、おめでとうございます。
今年も春を迎えました。街の桜や、園庭の花々も満開となり、すでに新緑の緑が輝き始めました。スピード感のある自然の豊かな力を感じます。一方で、新型コロナウイルスの影響が出始めて1年以上がたちましたが、今もなお、先の見えない状況が続いています。しかし、私たち城之橋幼稚園は、昨年度の経験を活かし、感染対策を講じながら、子どもたちが大きく成長できるように、94年目の歩みをスタートいたしました。今年は13名の新しいお友だちを迎え、新しく着任した先生もいます。今年も、多くの出会いや関わりが与えられたことを感謝しています。幼稚園に新しい風が吹き、愛のある交わりから、子どもも大人も大きく成長できると信じています。
新しい環境に胸躍る一方、不安に思うこともあります。子どもたちも、お家の方にとっても、生活が変わり、変化を受け止めるには時間もかかります。年間聖句に「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章26節)と書かれています。人間の体のように、一人ひとりは、それぞれ一つの部分であり、その部分は体に繋がっていて、痛みや苦しみ、また喜びを共にすることが書かれています。私たち一つの体として、子どもたちや、お家の方、園の教職員が繋がり合い、共感する中で、安心感が育まれ、それが成長へと繋がり、様々な課題を一つひとつ超えていけるのだと思います。また、今月の聖書の箇所は「私は良い羊飼いである」というヨハネによる福音書に書かれた言葉です。これはイエス様が羊飼いとして、私たち一人ひとりを導き、守ってくださることを伝えています。私たちの毎日には様々な出来事が起こりますが、いつも神様の守りや恵みを受ける中、歩めていることを教えて下さっています。イエス様は、羊飼いとして、私たちの一人ひとりのことを、良く知って下さっていて、その安心感の中で、私たち(羊)は育まれていくのです。幼稚園も、その安心感の中で育つ「羊の群れ」だと思うのです。幼稚園という一つの群れの中で、幼稚園の保育者は、羊として、子どもたちと共に生きるのと同時に、主から羊飼いの役割を託されていることを心に留めています。私たちは、イエス様に倣って、子どもたちに思いを寄せ、理解を深め、共に歩んでまいります。この歩みを、主であるイエス様が、祝し、守って下さることを信じ、子どもたち、またお家の方々と同じ群の仲間として、力を合わせ、子どもたちにとって最良の環境を作っていきたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします。
「共に居て下さる神様」 栗原 武士
いよいよ3月になりました。この年度も終わりを迎えます。今年は新型コロナウイルスによって、例年とは違った流れになりました。出来なかったことを挙げればきりもありませんが、一方で、今まで行ってきた城之橋幼稚園の保育を振り返る時が与えられ、今の子どもたちに必要な保育や関わりについて、より考えを深め、改善し、新たな試みを行うことが出来ました。また、この城之橋幼稚園で大切にしている「たてわり保育」も、コロナ禍であっても行いたいと考え、クラスごとの人数を小さくし、感染予防に努め、保育内容を工夫し、取り組んで参りました。この1年間の子どもたち同士の交わりによって、憧れや、挑戦する気持ちが育まれ、相手を支え、思い合う心が育ちました。沢山の気付きも生まれました。距離を取ることが新しい生活様式となる時代だからこそ、心の距離を近づけながら、関わりを深め、隣人を大切にすることが出来たことを嬉しく思っています。このような一年の歩みが実現できたのも、保護者の皆様方のご理解とご協力があってのことと、感謝しています。卒園や進級を前にして、本当に子どもたちは大きく成長しました。この成長が、これからの歩みも力強く支えてくれると信じています。
今月の聖書の言葉は「わたしは必ずあなたと共にいる。」という言葉です。この言葉の直前に、神様は、モーセというユダヤ人に、エジプトにいる全てのユダヤ人を導き、エジプトから脱出させるように命じました。モーセは「なぜ自分がそんな大変なことをしなければならないのか」と神様に反論します。その時に、神様は、この言葉をモーセに語りかけたのです。モーセは、神様と出会うまでの間に、命を失いそうになる危機があり、同胞のユダヤ人から受け入れられない経験もしました。モーセが、先のことに不安を思い、指導者という役割を断ろうとした気持ちは理解できます。私たちも、モーセのように、これから先の歩みに様々な不安を持っています。そのような私たちに、神様は「必ずあなたと共にいる」から、大丈夫だとおっしゃるのです。どういうことでしょうか。モーセは、これまでに危機的な状況がいくつもあったのですが、それでも神様に守られて、歩んで来られたのです。神様と出会うまで歩めたということは、神様がいつも共にいて導いて下さったことを証ししているのです。
今年度のように、先の見えないコロナ禍にあっても、私たちは神様に守られ、導かれました。大きく成長しました。不安があっても、神様が支えて下さり、必ず前に進み、成長できるのです。神様がこの1年だけでなく、ずっと前から共にいて支えて下さった事を思い起こし、恐れずに新しい時に向けて、歩み出していきたいと思います。